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[大病体験記00]プロット

本欄の投稿は、小説調で書きたいです。
駄文ですが、ご容赦ください。
今回は、ざっくりプロットをメモします。

ちなみに、プロットも、本文も、気付いた都度バシバシ修正していきますので、公開当初とは違うものが完成形になると思いますが、ご了承ください。


飛行機の機内から撮った空模様です

1.執筆前雑感

脳卒中というのは、突然来ます。
そして、体験者は突然に、死の危機、後遺症の危機に瀕すことになります。

私も、46歳で、本当に突然に、小脳出血を発症し、死というものを具体的に感じる機会を得ました。

幸いにして仕事に支障のあるような後遺症はなく(後述しますが多少の後遺症はありました)、就職していた保育園に復職できたのですが、あまり変化しなかった体とは対照的に、心、つまり人生観は、大きく変わりました。

これまで、私は、生と死の間にある圧倒的な不連続を恐れ、考えないようにしてきました。
しかし、今回の病気の発症、入院、手術等ジェットコースターのような経験、おそらくは死の淵に近づいた経験を経て、「あー、それほど恐怖する程のものでもないな」と思い至りました。

この気持ちは、幸いにも続いていくこととなった自身の生を充実させる上でも、また私の人生に関わってくれた家族、友人などに、生きている間によりよく接していくためにも、丁寧に整理し、心の引き出しに大切に保管しておくべきものと考えました。

皆さんが読むに値する代物になるかどうかはまだ分かりませんが、なるべく分かりやすく、書き残していきたいと思います。

川面のリフレクション

2.章立て案

四章構成で書こうかな、と思っています。

①心地よい生

前職を辞し、「心の自由を手に入れた気になっていた」頃の自分を描きます。
「不確実性への安住」とでも言いますか。
今だから分かります。
生との向き合い方について、私の場合には、大きな変革の余地がありました。

②死という日常

発病から手術、入院の経験を、死に対する認識の変化を中心に描写したいと思います。
突然の体調不良から、入院、手術、リハビリ、退院、復職まで、わずか2か月弱。
この間の経験は、特殊ではありましたが、日常の範疇として淡々と過ごすべきものだとも思います。

③無より転じて

無より転じて生を拾う。
北斗神拳究極奥義「無想転生」の引用です。
この章では、それが世にいう臨死体験なのかどうかは分かりませんが、たまたま生という賽の目を得た後の私の、日々に対する認識の変化を書いていきたいと思います。

④そこに在る

今回の経験を通じ、私は、ものすごく単純で、示唆もなく、申し訳ない表現なのですが、「人生は、アーカイブのプロセスなのでは?」と感じました。

なぜ、あの時、私は死を恐れなかったのか?
なぜ、スムーズに喋れなくなり、スムーズにギターを弾けなくなったことが、堪えられる程度の残念に留まるのか?
そのいずれの解も、「アーカイブの存在」が大きな要素であるように思います。

それは、どこに?
スティーブン・キングが、「ショーシャンクの空に」で「There’s something inside they can’t get to, they can’t touch」と描写した場所。
ザ・ブルーハーツが、「情熱の薔薇」で「心のずっと奥の方」と描写した場所。
私は、彼らの知己ではないので、それに近いのかどうかは、分かりません。
でも、近かったら嬉しいな、と思います。

私は、病気前から、老化により、多くのスペックを失っていました。
そして、脳卒中後遺症。
趣味でずっと続けてきたギターが、満足に弾けないという、かなり悲しむべき事態に見舞われました。

でも、そこまで悲しくないです。
なぜ?
死の淵だったのかどうか分かりませんが、あの時感じたような気がしました。
それだけは、そこに存在し続ける。
生きた証は、現在の自分ではなくそれなので、残念とかは、ない。

それは、何なのか?
まだ私は、それに名を付ける程には、人生を生き切っていないようです。
それに名を付けるのを、人生最後の楽しみとしたいと思います。

それまでに、まだまだ、楽しいことも、苦しいことも、嬉しいことも、悲しいことも、ありそうです。

そんな心持ちで、私は、老境に向かいます。

やべ。
書き過ぎた。

これから、書いて、構成していきたいと思います。

よろしくお付き合いいただければ幸いです。

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