映画『燃ゆる女の肖像』

監督・脚本:セリーヌ・シアマ

出演:アデル・エネル、ノエミ・メルラン

原題:Portrait de la jeune fille en feu

英題:Portrait of a lady on fire

フランス/122分

字幕翻訳:横井和子

配給:ギャガ GAGA


~以下感想文~

いつものようになんとなく気になったので予備知識なしで観賞。

これが大当たりでした!素晴らしい映画です。



冒頭はノエミ・エルラン演じるマリアンヌが小型の船でどこかへ送り届けてもらっている場面。波による揺れで荷物が海に落ちてしまうが、マリアンヌは躊躇することなく飛び込み泳いで荷物を取りに行く。

マリアンヌが画家だという設定を知らずに観ている私は、その簀の子のようなものがそんなに大事なものなのか・・・とまずここで不思議に思い、最初から引き込まれる。

舞台は18世紀のフランス。衣装も、おとぎ話に出てくるようなイメージの西洋の服。下はコルセットとパニエを着けているであろう動きにくそうなドレスで海に飛び込んでいく様子にまず驚かされる。

ブルターニュの孤島に着いた画家マリアンヌは、伯爵夫人の頼みで娘・エロイーズ(ノエミ・メルラン)の見合いのための肖像画を描いていく。エロイーズはマリアンヌが画家だとは知らない。なぜなら、彼女は結婚を拒んでいるため、マリアンヌが見合いのための肖像画を描きにきた画家だと知ったら、ついに顔を描けずに帰ってしまった前の画家と同じようになり肖像画が完成しないと憂いての伯爵夫人の心配からだった。

BGMと呼べるような音楽がほとんどない作品で、聞こえてくるのは

波の音・絵を描く音・調理器具や食器の音・息遣い

これらの装飾のない音がこの作品を際立たせていると感じた。

マリアンヌが自身が画家だと正体を明かすまでは、気づかれないように、かつ必死に観察して描こうとする画家の観察者としての視点なので、見ているこちらもマリアンヌの視点でエロイーズを間近に見ていることによる、一種の引力みたいなものが働いている気がした。

そして物語の中盤まで私の感情のほとんどを占めていたのが、不安感。

一つは、マリアンヌが部屋で肖像画に取りかかっている時に、エロイーズが入室してきてバレてしまうのではないかという不安、ハラハラ感。

そしてもう一つ。自分でも途中まで気が付いていなかった不安の正体というのが、笑顔がほぼ出てこないことによる不安感。

サービス業に従事していた人なら知っているかもしれないが、笑顔は人を安心させる。それが、この作品は中盤までほぼほぼ人の表情から笑顔というものが出てこない。それに不安感を覚えてしまっていたのだと、はっと気付いた。

ハラハラドキドキのアクション映画やサスペンス映画ではない。むしろストーリー自体はいたって淡々と進んでいくのに、こんなにも心をざわざわさせる凄みというのを感じた。

登場人物も決して多くはない。衣装もほとんど変わり映えがしない。日常的な音以外はほとんど装飾的なものもない。

それでもこの作品が異常なまでに美しく感じられたのは、知的で芯の強い二人の女性の愛の物語を、アデル・エネルとノエミ・メルランが演じていたからだろう。

作品にはほとんど男性が出てこない。出てきてもほぼセリフはなく、また伯爵夫人のご主人や、使用人ソフィの相手についても触れられていない。

いろいろなモノを削ぎ落した美しさというのを感じた。

私が個人的にいいなと思った場面が、エロイーズがマリアンヌに、ソフィが堕胎した場面を絵に描くのよ!言うシーン。

あのワンシーンには、エロイーズという人物の人間力というか奥深さが表されているように思えた。


マリアンヌがピアノを弾く場面、女性たちが集い歌う場面、最後のオーケストラのシーン。”音”はほぼここにしか使われていないなのに、強烈なインパクトを残す。

”音”と”絵”という視点から再度鑑賞したいなと思ってしまうくらい圧倒的。

私は決して映画好きと言えるほど多くの作品を見てるわけではないので大したことは言えないけれど、とにかく余計な音が無く、登場人物も少ない作品をあれだけ美しく印象的に表現したのは、監督・セリーヌ・シアマの類い稀なるセンスなのだろうと思った。


とってもとってもおすすめです!!!



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