なら子の寺社探訪記〜住吉大社〜
どうも、なら子です。
東寺の話が途中になっていますが、関西にきてから初の未探訪の寺社へ行ってきましたので記録したいと思います。
そもそも京都奈良の寺・神社はほとんど訪問済です。奈良は吉野、京都は大原の方面まで行っています。なので初訪問の寺社となるとなかなか数は少なくなります。
しかし今回の舞台は大阪、大阪で有名な寺社といえば四天王寺と豊国神社しか知らない私でした。(ちなみに両方とも訪問済み)しかし大事な神社を忘れていました。
そう、住吉大社です。
大社の探訪前の印象としては『源氏物語』のどこかに出てきたことがあったきがするなあ程度でした。だから名前だけ知っているという感じです。
気になって『あさきゆめみし』(作:大和和紀)を読み返してみました。(筆者は『あさきゆめみし』の大大大ファンです)
住吉大社、思っていた以上に重要な役割を果たしていましたね。都を追われた源氏の君が住吉の神の導きで須磨から明石へ移動し明石の上と出会い、二人の間にできた娘は国母になる。そもそも明石入道は自分の家から国母が立つという住吉の神のお告げを信じて隠遁していたわけで。天気が荒れた際も源氏の君は住吉の神に鎮まるよう祈っていました。とにかく大阪兵庫近辺の神様として当時から崇拝されていたことがわかります。
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さて、本題に戻ります。
住吉大社は摂津国一之宮、そして全国約2300の住吉神社の総本社です。
祭神は、底筒男命・中筒男命・表筒男命の三神、そして神功皇后を祭神とします。仁徳天皇が住吉津に港を開いて以来、遣隋使・遣唐使に代表される航海の守護神、また王朝時代には和歌・文学の神として信仰を集めていたようです。
底筒男命・中筒男命・表筒男命の三神は、『古事記』で黄泉国に行ったことによりケガレを受けてしまった伊邪那岐命がケガレを祓うため海に入った際生まれた神様たちだそうです。
このことから祓の神・航海安全の神となるわけですね。
また第十四代仲哀天皇の后、神功皇后 との関わりとしては新羅遠征の際、住吉大神の加護を得て新羅を平定し無事帰還を果たしたことで、住吉大神の神託によって現在の住吉の地に鎮斎したことによるものだそうです。
そうなると和歌・文学の神は一体どこから?という感じですが、これは住吉大社が白砂青松の綺麗な景色の場所にあることから万葉集や古今和歌集などの歌集に数多く歌が詠まれていること、歌道を志して参拝する人々が平安時代に多く献詠もたくさんあったことによるものだそうです。
そういえば巫女さんたちは松飾りをつけていらっしゃいました。松飾りをつけていた理由もわかりました。
そのほかにも農耕・産業の神、弓の神、相撲の神としても信仰されています。盛りだくさんですね。
ちなみに住吉大社も伊勢神宮同様に20年ごとに遷宮が行われ、直近では平成23年の御鎮座1800年記念大祭に合わせ国宝社殿の塗替をはじめ諸建造物の修繕を行う「第49回式年遷宮」が行われたそうです。
境内の建物が綺麗だったのも納得でした。訪れた日はカンカン照りのいい日で社殿や太鼓橋の朱色が青空によく映えていました。
サムネの写真をみてお分かりになっている方もいらっしゃると思いますが、例年この時期住吉大社は住吉祭が行われています。
住吉祭は、大阪の夏祭りを締めくくるもので大阪中をお祓いする「お清め」として古くより「おはらい」ともいわれているそうです。
7月海の日に「神輿洗神事」7月30日に「宵宮祭」翌日「夏越祓神事・例大祭」
そして8月1日にはいよいよ、住吉大神の神輿が堺の宿院頓宮まで渡る「神輿渡御」が行われます。
今年は新型コロナウイルスの影響で中止になってしまいました。来年この事態が落ち着いていたらぜひ生で拝見したいなと思います。
お参りして御朱印をいただきました。御朱印も感染対策として御朱印帳に書いていただくことはできず既に書いてある紙をいただくようになっていました。このように貼り付けて管理しています。
以上、大阪有数の神社、住吉大社探訪記でした。