『1ヶ月書くチャレンジ』DAY17 | 感覚的なものが大切になったのは執着心が減ったから?
「なにかに執着する」ことが私の中でこぼれ落ちたのは初めて付き合った人と別れてからだと思う。
それまでの20数年間は何かモノに執着することが沢山あって(一概にモノ扱いできないものもあるけれど)、中学高校はGLAYのファンでもうそこしか見えていなかったし、漫画も何度も何度も同じ作品を読んでぼろぼろにしていた。服が大好きで大学時代のアルバイト代が服にどんどん消えていったし、20代は服と靴ばっかり買っていた。それまでに片思いになった人にはその人のことしか考えられなくなったり…。そうして初めて付き合った人にはもう気持ち悪いくらい執着していて、楽しかった思い出もあるけれど15年くらい経って思い返すともうあんなに執着することはしたくないな。。。とも思う。
多分そんな経験から、私には執着するものがどんどん減っていったのだと思う。新しい好きなこと、モノの出会いは何度も何度もあるけれど「まぁいっか」精神が生まれたことで「これを集めなくちゃ」「なんでも知りたい」という気持ちが薄くなっている。
美術が好きで美術検定2級までとったけど、今は美術館に行けていない。それでも「まぁいっか」でいつかまた行けるから。日本に来ない作品ならいつか現地に行こうくらいの気持ちに落ち着いてるし、家にある美術本を読んで満足できている。
夫さんについても「私のことわかってよ!」とか「今なにしてるの?」みたいな感情は同棲する前からも今も特に持ち合わせてなくて、それは多分夫さんへの信頼もあったのだけれど、自分の中の「まぁいっか」が相手にわかってほしい、理解したいみたいな気持ちを少なくしていたのだと思う。あとは年齢を重ねたからかしら。
あんなに好きだった洋服や靴も手放し始めて、どかどか買ってた時代の服はもうほとんど手元に残っていない。その時大好きだったり流行りで買った服たちも結局は着心地のよさや着回しするものしか残らない。10年ほど前にオランダに旅行に行った時、寒くて買った2000円くらいのシンプルなセーターを毛玉を取りつつまだ現役で着ていたりする。でも旅行に着ていった服はもう残ってない。そういう服の出会いもありつつ今持っている服は少数精鋭たちで、何か新しく買おうと思ったら何か手放せるものはあるかどうかでその時買うかを決めている。
なので、『今1番大切なモノ』というお題は私にとって物質的なものではないかもしれないな。
うーん。
むーん。
…やっぱり今のこの『生活』かなぁ。
夫さんがいて、暴れん坊だけどかわいいムスメがいて、これから生まれてくる赤ちゃんもいて。子供の成長で目まぐるしく生活環境は変わっていくけれどそこにいる家族は変わらない。ムスメたちはどんどん成長して親からしたら悩み事も増えて考えることも変わっていくけれど、娘に対する考えたり悩んだりする姿勢は変わらず、でも自分たちの変化に順応しなきゃいけなくて色々忙しいだろうけど、この生活が一番大切だな。
でも、この生活をキープするために「執着」したりはしない。変化を受け入れて、なんなら住む場所が変わったりしても「大切」という気持ちを忘れずに生活を営んでいきたいものです。
今日から出来る時は絵の練習でムスメに「惜しいひとこと」シリーズをイラストで紹介したいと思います。
書籍『書く習慣』の「1ヶ月書くチャレンジ」を実践中。