『1ヶ月書くチャレンジ』DAY19 | 自分の外にある常識について考えてみた
就活中、自己PRを記入する時によく「順応性があります」と書いていたのをこのお題で思い出した。確かどんな環境にも対応できますみたいな、グラウンドで寝ることも出来ますみたいなしょうもないことも一緒に自己PRとして書いていた。今思えばPRにもなってないし、だから?って言われそう。
実際、今10年以上働いている会社でも体育会系気質な部分があるからか「へぇそうなんだ」みたいな決まりや風習があったりするけれどそういうものに「なんで?」と深堀りしないで「そういうもんか」で渡ってきた自覚はある。順応性があるというより疑問に持たないのだ。
そんなちゃらんぽらんなのであまりものごとに疑問を持たない私だけれど、それでも「へ?」と思うような風習や常識だと思われるものに出会うこともある。
ひとつめ。最近話題?になっているハンコ必要かどうかな話題。
忘れっぽいからなのかハンコの押し忘れが今まで結構あったのだけれど、年末調整時にハンコっていらなくない?って思う。
何年も前、職場に年末調整を提出時に押印を忘れてハンコを慌てて買いに行ったことがあるけれど必要ないんじゃないかな。。。必要な理由を考えたこともないけれどさ。
ハンコが全部いらないとは思わない。けどやっぱサインでいいならそれでいいじゃんと思うことはよくある。ハンコは本当に大事な時だけでいいんじゃないかな。最近使ったのって数年前の婚姻届と銀行の名字を変える時が最後だった気がする。そのくらいのライフイベントだけでもいいんじゃない?と思っている。
まぁあとは「結婚した方がいい」とか「定職に就いた方がいい」とか「〇〇した方がいい」という常識的?な考え方についてかな。
その「〇〇した方がいい」っていう考え方を持つことは悪いことではないと思う。ただそれを他人に伝えることってとてもリスキーなんじゃないかなとも思う。その「〇〇した方がいい」理由をちゃんと相手に説明できるのかな。自分の体験のみで肯定して伝えていいものなのかな、と思う。
結構「余計なお世話」感が強いんじゃないかな。伝えて相手にどんな思いをさせるか考えることが出来たうえでの発言だよね?ってそういうことを言う人を見るといつもそう思う。
うぅ、あまり得意なお題ではなかったな。ハンコて。うーんと考えたうえでの好きじゃない常識がハンコか。まだまだ私も世間の常識に浸かってるということかも。
書籍『書く習慣』の「1ヶ月書くチャレンジ」を実践中。