描いても描いてもムスメの可愛さが表現できない。
今「生み」の苦しさを思い知っています。
イラストを描くことは小さい頃からずっと好きで今でもポツポツと描いたりはしてるのだけれど…ムスメを描いても描いても納得がいく出来栄えにならない!そして最近思い知ったのが今まで自分が描いてきたものは何か「対象」にしたものに対して納得いくまで描いたものではなかったのだな、ということ。同時に自分の表現力の低さ。動物イラストなんかはささっとデフォルメして可愛くかければよかった。少女漫画風の女の子を描いた時も目標の画家さんとか動きに対してこだわりがあった訳じゃなかった。「これでいいや」で済ませてきたツケが一番表現したい対象の前でつまづいてしまっている。。。
「生みだす」ことのすごさ。
親バカ全開だけどムスメはかわいい。なにしててもかわいいので写真はもちろん撮りまくってるしその成長過程をイラストでも絵日記的にも残したいと思った。ずっと使ってない鉛筆やスケッチブックを引き出していざ描くぞ!と意気込んだのはいいけれど約1年前、当時6ヶ月のムスメを描いてみたら全然目の前のムスメと違った。それでも絵日記風に描き進めてみた。全然似てないけどムスメの絵日記は出来た。3カ月くらいその画風で描き進めたけど全然違うことには気付いていた。気付いていたことを受け入れたら描く気がなくなってしまった。追求することをストップしてしまった。
そして約3ヶ月前からムスメの夜泣きがなくなって夜に自分時間が取れるようになったのでまた鉛筆とスケッチブックを引き出した。今度は絵日記ではなくひたすらムスメの写真を見ながらムスメのかわいさに近づけられるように練習している。
素直に思うのはインスタで育児絵日記やイラストを更新し続けているお母さんたちの「生み出す」ことと持続力のすごさ。尊敬しかない。
全然まだ似てないけれど。
似てなくてもいいんじゃない?との心の声も聞こえてくる。ムスメの記録が残せればいいじゃない、と。似てなくたって「生み出している」し、描き続けてればイラストの画力も上がるかもしれないし今度は持続するかもしれないよ、と。
でもチャンスだとも思っている。今まで「生み」の苦しみも大して知らずに描いてきてやっと今試行錯誤しながらスケッチブックに向かっている。あーでもないこーでもないと1人でスケッチブックに向かっていることはこれからのお絵描き人生を変えるかもしれないと。まだ似てないけど渋みのある表情は表現できてきたかもしれない。