ビーちゃんの思い出②
先日の、「ビーちゃんの思い出①」の続きです。
ビリーはとても明るくて、人懐こかった。知らない人が訪ねて来てもワンとも吠えないので、到底番犬にはならなかった。
家だとデカい態度してるくせに、散歩に行って、他の散歩している犬に会うと、気弱になって怯えてしまう。近くを散歩している犬で少し乱暴な犬がいて、その犬に追いかけられてお尻を噛まれた時も、何も抵抗できずにただ怯えてるだけだった。(幸い大きな怪我にはならなかった。その後その飼い主さんが謝罪に来て、以後このようなことがないようにしっかりと見張りますと約束してくれた。)
野良猫に対しても逃げ腰で、猫に威嚇されるとそそくさと退却。全く私たち家族にはいつも強気なくせに…可愛いやつめ。
そしてとにかく食いしん坊。ポケットからおやつの匂いがするともらうまでずっと前足攻撃。向かいのおばさんがいつもビスケットをくれるので、そのおばさんの顔を見るともらえるまで鳴きやまない。ちゃんと「これで終わりだよ!これ食べたら大人しくするんだよ!」と何回も言って聞かせないと、また頂戴ってすぐに吠え出す。
それだけお腹空いてるならもっとエサを増やしてあげたいと思いつつ、ビリーのお腹はどんどん出て来て、虚勢したはずなのにまた子供がいるのかと疑うほどだった。あれだけ朝と夕方に散歩をしていても太るから困った。夏になるとグデーッとダルそうに横になるのだが、その時のお腹がまるで牛だった。
散歩中も、何か食べられそうなものを見つけると食べようとするので、そういうときはポケットに忍ばせたビーフジャーキーを見せて気を紛らわせた。しかしいつもそんなことをしていたら、だんだんそれ目当てで何かを加えるようになって、あ!と思ってビーフジャーキーを取ろうとポケットに手を入れただけでパッとそのモノを口から離して、私からもらえる体勢に移ったりしていた。確信犯。
散歩道に、湧水のたまり場があって、夏はそこでお腹を冷やすのが好きだった。ただある日おじさんに「そこに犬を入れるな!」と叱られてしまって、それ以来入れなくなってしまった。
時々、親戚の家に集まる機会があると、車にビリーを乗せて一緒に行った。たまには家から遠いところで散歩するのも良いだろうと思って。
ある日、ビリーが急に苦しそうな呼吸をしだした。何か吐き出したそうな、ガーガー、みたいな。心配になって急いで動物病院に連れて行った。すると不思議なことに出なくなった…人間でも似たようなことがある。しかし先生はその状態を見て、これは風邪ですね、多分そのガーガーっていうのは咳です。と言っていた。お薬をもらって、家に帰ろうと病院を出た途端にまたガーガーと言い始めて、それを聞いた先生が「これですよね、これは咳です」と教えてくれた。
それが確か10歳くらいの時だったと思うのだが、それまで逆に一度も風邪を引かずに来たんだな…とビリーの健康さにびっくりしたものだった。
10歳というと、人間で言えば60歳くらい。もう定年を迎えるような歳。若い頃のようなハツラツさは無くなったものの、それでも元気だった。
ビリーが10歳の頃に、あの東北大震災が起こった。ビリーは母と散歩中で、あまりの揺れに母はビリーに捉まっていたらしい(それはそれでどうなんだと思った)。ビリーも何か異変は感じたようで、周りをキョロキョロ見回していたらしい。
私はその時東京の古書店でバイトをしていて、鉄道も止まって帰れないのでそのお店に泊めてもらった。あの夜は生涯忘れることがないだろう、緊急地震速報が鳴り止まず、とても寝れたものではなかった。家に電話をしたら、ビリー含めみんな無事だということがわかって安心した。
その3年後、姉が結婚をした。…確か3年後だったと思う。姉のことにまるで興味がないのであまり覚えていないのだが、確か3年後くらい。
で、その何ヶ月後かに、姉が妊娠した。
その頃、ビリーは13歳。人間で言うと70過ぎた、もう立派なおばあちゃん。
ビリーはその頃、ガクッと体力が落ち始めた。
散歩も、私と1時間でも2時間でも歩いたのに、30分くらいしたらバテて歩けないようになってしまった。
家でも寝てばかりで、全然遊ぼうとしなくなった。(これは、私が仕事が忙しくて遊べる時間が減っていたこともあった)
全然吠えなくなった。夕方になると寂しくてあんなに吠えてたのに、全く鳴き声を聞かなくなってしまった。
心配で仕方なかったが、私は残業残業の毎日で、家に帰るのは23時すぎるのがほとんど。土日も疲れて何もできないことがほとんどだった。しかしそれでも様子はよく見にった。横になって寝てることが多かったけれど、それでもちゃんとお腹が動いて、呼吸をしてくれてるのがわかるだけでホッとした。
散歩には行きたがるのだけど、10分くらい歩いただけで、もう歩けなくなってしまうようになってしまった。歩くスピードも、いつの間にか、とてもゆっくり。
おばあちゃんみたい、というか実際におばあちゃんなのだけど。
毎日一緒にいたから、その少しずつの変化に、私はなかなか気づけなかった。
歩けなくなって、どうしたものかなぁと困ってしまって、抱っこしようとしても重くて到底そのままは歩けず、
エサをチラッと見せると、ゆっくりだけど歩き始めてくれた。
心配になった母が、様子を見に来てくれた。母と私と、ビリーを励ましながら歩いた。「頑張って!」「もうちょっとでお家だよ!」「家着いたらご飯だからね!」と言いながら。ビリーも必死で歩いていた。
もしかしたら、これが私と行く最後の散歩になるのかもしれないと思いながら、歩いた。
普通に歩けば5分もかからない道を、休みながら少しずつ、20分くらいかけて一緒に歩いて、大変なのだけど、どこか楽しくて。ビリーも、苦しそうであったけど、自分の足で歩けることが嬉しそうで、相変わらず明るい目をしていた。
その時、私は、幸せっていうのがどういうものなのか、わかった気がした。
そんな時、姉の第一子が生まれた。女の子だった。両親は初孫ということで、もう嬉しくて嬉しくてたまらない様子だった。私としても初めての姪っ子だから、いくら姉に興味がないとはいえ、嬉しかった。
出産は、予定日よりもだいぶ遅れ、苦労したようだった。だからみんな心配していたのだが、無事元気に生まれてくれて、みなホッとしていた。
その時の私は、奇妙な感覚に陥っていた。
ビリーの先が長くないことを、心のどこかで認めていて、悲しい気持ちになっていたけれど、同時に、姪が無事生まれて来てくれた嬉しさ、それが混ざり合っていた。
それから、ビリーは立ち上がるのもままならなくなってしまった。
腰が上がらないようで、後ろ足を引き摺らないと歩けなくなってしまった。
当然、散歩など行ける状態ではなかった。
その姿は、あまりにも辛そうで、かわいそうで、胸が痛みに痛んだ。
朝も、毎朝私が会社行くときは、尻尾を振って見送ってくれていたのに、顔を持ち上げるだけになってしまったけれど、
食欲だけはまだあって、ご飯を食べてくれていたのがせめてもの救いだった。
体は動かなくなってしまったけれど、元気は前よりも少し出たみたいで、時々吠えるようになった。
昔みたいな大きな声でないけれど、夕方とか夜に、小さい声で鳴くようになった。私はその声を聞きながら、この泣き声を、もうすぐ聞けなくなってしまうのかと思った。信じられないけれど、認めざるを得なくて、少しでも長くビリーと一緒に過ごした。前までうるさいと思っていたのに、その鳴き声が聞けることがとても嬉しかった。
姉が退院し、うちへ里帰りしに来た頃、夜中に時々寂しそうな声で鳴くようになった。前までは深夜に吠えるようなことがなかったのだが。
そんな時、私と姉と母で様子を見にいくと、ビリーは丸い目をキラキラ輝かせて、とても嬉しそうな顔をしていた。しばらく4人で、ビリーとお話をした。「ビリーは頑張ってるね」「苦しいと思うけど、精一杯生きてね」「みんなビリーが大好きだからね」などと言いながら。
その数日後には、とうとうご飯も食べられなくなってしまった。ドッグフードは全然食べられず、おかゆなら少し食べたけど、それも数日後には全く食べられなくなってしまった。姉から、「ビリー、ご飯食べられない」「全く食べられない」というメールが届いて、そろそろか、と覚悟していた。
家に帰ると、昨日とは明らかに様子が違った。呼吸はしてるけどとても苦しそうで、私が声をかけても、目は虚ろで、どこか一点を見つめているようだった。
家の中に入れてあげたいけれど、姪がいるから入れられないのが、辛かった。
その日は、私も、母も、姉も、ちょこちょこ様子を見に行った。
ビリーが死んでいたのは、私が寝る前に様子を見に行った時だった。
ちょうど、姪が生まれて1ヶ月になった頃だった。
それまでも、ビリーが死んだようにぐっすり寝ていた姿は何度も見ていた。
でも、本当に死んでしまったんだ、と、そのときはすぐわかった。深夜だったので、その日は、毛布をかけて、今までのお礼をたくさん伝えた。「今まで本当にありがとうね」「ビリーのおかげで楽しかったよ」「ビリーがいてくれたから、私も、みんなも、寂しくなかったんだよ」と伝えながら。
その後、先に寝ていた両親と姉に、ビリーが死んだことを伝えた。
その日は、どこかぽかんとしてしまって、涙も出なかった。悲しさよりも、脱力感が大きかった。
いつもなら布団に入れば30秒で眠ってしまう私が、その日はボーッと、魂が抜けてしまったみたいに、ほとんど眠れなかった。
翌朝、会社へ行く前、改めて最後の挨拶をした。「本当に今までありがとう」「毎朝見送ってくれてありがとうね」「毎日出迎えてくれてありがとうね」「じゃあ、行ってくるね」と言って、お別れをした。
その後、電車でビリーの写真を見返した。いろんな写真があった。家の中の写真、散歩中の写真、寂しそうな顔をした写真、つまらなそうな顔をした写真、そして、たくさんの楽しそうな写真。
改めて、もうこのビリーに会えないんだ、と思ったら、急に涙がこみ上げて来て、会社に着くまで止まらなかった。
亡くなった後のビリーの体は、両親が火葬場に連れていってくれた。
ペットには個別葬と合同葬があるのだけど、他の犬と混じったら嫌だから、個別葬にしてもらった。
お花と共に、ビリーを火葬してもった。
人間と同じように、ビリーの遺骨を、両親が拾って骨壺に入れて、小さくなってビリーは家に帰って来た。
すごく大切に扱ってくれたと聞いて、嬉しかった。
ビリーが死んで、家族みんな、やっぱり寂しそうで、父は小屋の掃除をしながら、「もうここからビリーが出てくることはないんだな」と泣いていたし、母も姉も悲しんでいた。姪がいるから悲しんでばかりもいられないのだが、しかしやはり心の中にポッカリ穴が空いてしまったようだった。
私は、悲しい気持ちが9割だったのだが、どこかで、ホッとしている自分もいた。
最後の方のとても苦しそうなビリーを見ていたから、あんなに苦しいのが続いたら嫌だな、可哀想だな、と思ってもいたから。死んじゃったんだから、もう苦しくないよね。もしまだ苦しかったら、神様に文句言いなね。それはちょっと酷すぎるんじゃないかってね。
よくビスケットをくれた向かいのおばさんも、ビリーが死んだことを知って泣いてくれた。
他にも、母が1人で散歩していると、見知らぬ人から「最近、ワンちゃんと一緒じゃないですけど、どうしたんですか?」と聞かれたり、
庭の掃除をしていると、小学校低学年くらいの男の子が「ワンちゃん!ワンちゃん!」と言いながら庭を覗いていて、「ママー、ワンちゃんいないー」と寂しそうな顔したり。その子のお母さん曰く、こっちのほうにこの子のおばあちゃんの家があって、時々遊びに来る度に、ビリーの様子を見に庭を覗きに来てらしい。
そんなこと私も母も知らなくてびっくりした。私たちの知らないところで、いつの間にか人気者になっていた。
よかったなぁ、こんなにみんなから愛されてたんだよ、ビーちゃん。
そして、こんなにみんなを元気付けていたんだよ。
ビリーが死んで5年経つ今でも、朝家を出る時、ビリーが見送ってくれたことを忘れた日はないし、
遠くから庭が見えると、ビリーが座ってこっちを見てるんじゃないかな、と時々思ったりする。
家族で車で出かけて、家に帰ると、車の音で気づくのか、顔を上げて待っていることもあったから、また尻尾ふって待ってるんじゃないかと、ふとした時に思ったりもする。
雨が降った日は特に、いまだにビリーの匂いがする時がある。気のせいなのかもしれない。しかし実際に私はその匂いを嗅いで、ビリーの匂いだとはっきり思い出すことができる。だから仮に気のせいなのだとしてもどうでもいい。大事なのは、私がそのことでビリーを思い出すということなのだ。
もちろん、雨の日じゃなくても、あの子を思い出さない日はない。
特に、ビリーの頭とか、顎とか、お腹とか、尻尾とか、おててとか、色んなところを撫でた手の感触、これははっきりと鮮明に覚えている。その柔らかさや硬さを、匂いとか、感触とか、目に見えず、言葉では言い表せないその感覚を、いまだにはっきり覚えている。これはきっと、忘れることはないだろう。
5年も経って、おかしいと思うだろうか。そう思ってもらっても構わない。しかしそれだけ私にとって大きな存在だったのだ。心の中の大きな割合を占めていたのだ。
思えば、中学生、高校生、大学生、社会人と、私の多感な青春(?)時代は、いつもビリーと過ごしていたのだ。だからあの子がいる生活の方が当たり前だったのだ。だから、あの子がいなくなって、心に穴が空いてしまうのも、仕方ないことなのだ。
さすがに、今では四六時中寂しい、とは思わなくなったけれども、あの子を思い出す度に、また会いたいなと思う。また会えるのだろうか。私が死んだ後、あの子とまた出会えるのだろうか。そうであって欲しいなと、心から願う。
早くまた会いたいけど、でも、私はそれよりも、ビリーの思い出を抱いて、生きれるだけ生きることの方が大事なんだと思うから、頑張って生きる。私が生きている限り一生忘れることはないし、それはつまり私の中でビリーは死なないということだ。
時々、あの子が夢に出てくる。特に、私が本当にしんどくて、辛い時に出てくる。なんだか、あの子が元気付けようとしてくれてるみたい。
そういえば、ビリーが死んだ翌年、ビリーの小屋があった場所に、立派なプチトマトの木が生えた。ビリーによくトマトをあげていたから、その種が溢れたのと思うけど、あれもどこかビリーからの恩返し的なものを感じた。
(なぜかトマトが赤くなってからの写真がない…)
ビリーとはたくさん色んな話をしたのだけど、よく考えたら、君は一言も人間の言葉を喋らなかったんだよね。私の話を、いつも聞いてくれてたんだよね。でも、いつも、どことなく伝わってるような気がしてたよ。
あの時、君を迎えた時、君が駆け寄ってこなかったら、君とは出会えてなった。君が私たちに駆け寄ってくれたおかげで、私たちは君と出会うことができたんだよね。君が、私たちを選んでくれだんだね。ありがとう。
君と過ごした時間は、どれも楽しくて、幸せで、宝物のような時間だった。生まれてきてくれて、私たちを選んでくれて、ありがとう。たくさんの思い出を、ありがとう。
本当に、ありがとうね、ビーちゃん。
ずっとずっと、大好きだよ。