後編『コムデギャルソンの成功とヨウジヤマモトの失敗から分かる事』
どうもNaraです。今回は後編となりますので、是非前編から読んで頂けたらと思います。
まず「ヨウジヤマモトの失敗」なんてクソ偉そうなタイトルを付けてしまった事については謝罪したいと思います。ですが個人的にはコムデギャルソンより、ヨウジヤマモトの方に圧倒的に想い入れがあります。
私の社会に対する反抗期を支えてくれたのは、ヨウジヤマモトであるし、90年代のヨウジヤマモトは今でも、私の中で頂点に君臨しています。
ではまずヨウジヤマモトの歴史を辿りつつ、『失敗』とは一体なんのことなのか、紐解いていきましょう。
1972年に設立されたワイズは、ヨウジヤマモトというブランド名で、1981年パリにて衝撃的なデビューを遂げました。そして同時期に、同じ「黒」のスタイルで、パリプレタポルテの常識を破壊したのがコムデギャルソンであるが、この同じ黒という色使いにも、両者の間で大きな違いが存在します。
コムデギャルソンは元来プレタポルテでタブーとされていた黒を、意識的に用いていたが、ヨウジヤマモトの場合、(山本耀司の著書を読む限り)彼は無意識のうちに、黒という色を用いることで怒りを増幅させていたのです。要するに彼はただ好きで、黒を使っていたのだろうと推測します。
その後ヨウジヤマモトは一定期間、黒を多用し続けて、ヨウジヤマモト=黒というイメージを確立しました。
だがその後このブランドの失敗に繋がる、欠点が露呈してしまいました。「黒」というアイデンティティに縛られ始めたのです。
だが、ヨウジヤマモトはそれを切り抜け、私が敬愛する90年代の黄金期に突入しました。
なんとヨウジヤマモトは今までの黒というイメージを、いとも簡単にぶち壊してくれたのです。90年代のヨウジヤマモトの服には、多様な色使いとユーモアが、反骨精神や怒りと、表裏一体に存在していました。
それらの服は、これからも私は90年代のヨウジヤマモトを超える服に出会えないかもしれない。そう思わせてくれるほどの完成度だったと感じます。
ですが、その後もう1つの壁にぶつかってしまいました。ヨウジヤマモト=山本耀司という男。という世間のイメージから、抜け出せなくなってしまったのです。
皆さんご存知の方もいると思いますが、sulvamのデザイナー藤田哲平など、ヨウジヤマモト出身で、独立し結構成功してるデザイナーはある程度存在します。ですがヨウジヤマモトは、その優秀な若手デザイナー達を取り込めなかった。それはヨウジヤマモト=山本耀司という一人のデザイナー。というイメージが浸透しすぎてしまったからだと思います。
何故かというと、ヨウジヤマモトはコムデギャルソンに比べ、ブランドの匿名性が圧倒的に低いからです。コムデギャルソンの場合は「ジュンヤワタナベ コムデギャルソン」という名前が成立するが、ヨウジヤマモトの場合は「ヨウジヤマモト テッペイフジタ」という名前は成立させられなかったのです。
そりゃ「ヨウジヤマモト」というブランドなのだから、山本耀司しか作れないと思われても仕方ないし、本人も、他人に手網を任せる気は全くなかったのだしょう。
そこを踏まえると、ヨウジヤマモトの最大の失敗はブランドがデカくなりすぎた事だと感じます。
山本耀司は「謎を秘めたアウトローな服屋」でいたかったが、世間は彼を「パリコレデザイナー」にしてしまったのです。
そしてヨウジヤマモトの追い求めていた、ノマードという放浪者の匿名性という部分は、ヨウジヤマモトが有名ブランドになり、刈り取られてしまった。
なぜなら、もうヨウジヤマモトの服を見ても、「なんだあれ?」とならず、スグにヨウジヤマモトだと分かってしまうようになったからです。
そして2009年の民事再生法の適用後は、自らヨウジヤマモトのパブリックイメージである「黒」に籠り、ただ自己模倣を繰り返すようになってしまったのですが、皮肉な事に売上はグンと伸びた。
あれほどグルーピーファッションを嫌っていた、ヨウジヤマモト自身が、一種のグループになってしまい、「ファン」がみんな同じような着こなしをしているのは残念です。
ですが逆に、もしかすると、ヨウジヤマモトというブランドの輝きがあまりに強いから、自分の世界に持ち込めるリスナーが少ないのかもしれない。
これでヨウジヤマモトの歴史と失敗について理解頂けたと思います。
ですが一体、タイトルにある「コムデギャルソンの成功とヨウジヤマモトの失敗から分かる事」とは何なのでしょうか?
それはマルジェラのブランディングの凄さです。
大変個人的な解釈ではありますが、マルタンマルジェラはコムデギャルソンの成功から、ブランドのラインナップの多様性を。ヨウジヤマモトの失敗から、ブランドの匿名性の重要さを学んだのだと思います。
その結果がカレンダータグとマルジェラというブランドの匿名性なのではないでしょうか。
コムデギャルソンとヨウジヤマモトについてのnoteであるのに、結局は前編も後編もマルジェラで〆てしまいました。
では今回はこの辺で。ではでは