約11年の集大成
最後のコンビ
今回のふくい桜マラソンで、約11年組んできた大井千鶴選手とのコンビも終了です。
大井選手自身がラストマラソンに挑むと同様に、コーチとして関わってきた私自身もコンビではラストマラソンになるので、いろいろ振り返っておこうと思います。
出会い
2014年の関西インカレオフ終了直後の6月1日だったように思います。
当時、私は、同志社大学陸上競技部の外部サポートとして男子駅伝コーチをしておりました。女子長距離部員が増えてきたので、2014年から女子も担当するようになりました。
よくわからないが、関西インカレ後に、しかも2回生の女子が入部してきたと報告が入った。それが大井選手だった。
第一印象は、「死んだ魚の目をした、やる気を感じない選手」
正直、すぐに辞めるだろうと思った。
聞けば「中距離 800m」が専門?らしいことを話していたが、実際に走るのを見ていると、スピードが無く、腰も落ちて猫背で姿勢も悪い。
どう見ても中距離は無理に思えた。
今まで、学生に一回もそんなこと言ったことはなかったのですが、と言いますか、後にも先にもない一回だけですが、「中距離は向いてないから、長距離にしたら?3000mぐらいがいいんでは?」と実質、中距離戦力外的なことを初対面で話してしまった。
それが最初でした。
3〜4番目ぐらいの選手?
当時、同志社の女子は、奇跡的にメンバーが集まっていた。
エースは奈良出身のT選手(後に2017年の奈良マラソンでY口選手を破り優勝)を中心に関西インカレで入賞できそうな選手が揃っていた。
大井選手は、中距離種目に拘って走っていたが、イマイチパッとしない存在でした。
3回生ぐらいで突然、大井選手は、3000m障害を始めた。
最も向きそうにない種目に。同時期に3000m障害を始めた別のM選手が、入賞レベルの記録を出し、それに次ぐ選手という印象で見てました。
この種目で期待していたのはM選手で、関西インカレ前に、いろいろ技術面でアドバイスしていたところ、「私はどうですか?」と話を割って入ってきた。
それ以後も、他の選手と話していると、必ず間に入ってきた。
積極的に話するようになったのは、この時からかもしれません。
3000m障害で大成
3回生ごろから、急に3000m障害で成績を残すようになってきた。
4回生では、全国クラスの大会にも出場できるようになってきた。
いろんな強豪実業団チームの合宿に招待されはじめ、このタイミングで、当時のNARA-X代表であった伊藤宇三美監督から、スカウトがあった。
※この段階では、私はただの顧問行政書士でした。
4回生の後期にNARA-Xに来ることが決まった。
そして、ここでアクシデントが発覚。単位は足りていたが、半年休学していた関係で在籍期間が足りず、3月末 卒業できない事態に。
でも、これが運命を大きく変えた。
半年後にある、日本インカレに再度チャレンジできる機会を得れた。
2017年 日本インカレ
2017年の春頃に、「大井が来るから、大学から見てるお前がみろ!」との伊藤監督からのご指名で、私がNARA-Xのコーチ就任が決まった。
5月の関西インカレ終了と同時に部活としては引退して、私とマンツーマンがスタートした。「日本インカレ入賞」を目指して。
4月から奈良に引っ越してもらい、ほぼ毎日、鴻ノ池で2人で練習した。
この時点では、日本学生ランキングが20位以内に入るかどうか?ぐらいでした。
そこから入賞への挑戦が始まった。
強みは後半の粘りで着実に順位を上げていける。
弱点は前半ついていけない。
徹底的に第1ハードルまでの50m強のスタート練習をやりました。
最初にいいポジションさえ取れば、後半の粘りで勝負ができると考えたため。
日本インカレ 予選
出場者でのランキングは16位でした。
3000m障害予選は全部で2組あり、5着+両組6着以下で上位2名の合計12名が決勝へ進める。
ランキング的には圏外。
予選1組でスタート。
徹底的に練習したスタートがハマり第一ハードルは先頭で通過。
まさかの先頭で、焦ってオロオロしてましたが。。。
5着以内で確実に着順で決めたかったところですが。。。
6着。。。
実はメンバー的には2組の方が、日本代表がいるなどで、揃っていた。
+2名は2組から選ばれるはず。
間違いなく、予選落ちと2人で落ち込んでいた。
そこで奇跡が起きた。
日本代表選手が棄権。頭ひとつ抜けた存在が抜けたことで、着順狙いのスローペースなってくれた。
奇跡的に+の1番目で拾われて決勝へ。
日本インカレ 決勝
どんなレースだったのか?正直、全く覚えていない。
ひたすら、入賞圏内粘ってくれ!という思いで祈るように見ていたように思う。
奇跡的に7位入賞で粘り切った。下剋上。
よく耐えたなぁ。
そして、私もコーチとして、初めての全国大会入賞でした。
この翌月、10月からNARA-Xでの活動がスタートした。
NARA-Xスタート
詳しくは長くなるので
過去記事で引用します
ベストレース
NARA-X入部後は、正直なところ、苦難な時期でした。
初期の頃は、特に2人時代は、よく喧嘩して、1ヶ月ぐらい話しない時期もありました。
いつしか選手が増え、マラソンで2人出しで戦えるレースが増えました。
初めて2人出しで挑んだレースが北海道マラソン2022でした。
G1として開催されたこのレースで、大井が7位、清水が8位で奇跡のW入賞を果たしてくれました。
この時は、嬉しさよりも驚きで、涙が出るというより、焦った気持ちの方が大きかった。
Lastマラソンに向けて
ついに11年弱のコンビも最終章を迎えました。
正直、今の感情がよくわからない。
当日、どういう心境でスタートラインに送り出せるのか?全く想像できない。
どういう感情で、ゴールで迎えるのかもわからない。
今年の2月、清水と大樽につきっきりになっていると、東京マラソン直前に、久しぶりに練習を見ると、「もう、見捨てられたと思ってました」と久々の大井節。笑
初期の頃に戻った感じで面白かった。
もう、リアル親子です。笑
大井のおかげ
日本インカレ入賞、富士山女子駅伝出場、全日本実業団選手権、マラソンG1レース転戦、マラソンで招待選手など、いろいろ初めての体験をさせてもらった。
そして、大井がいるからこそ、今のNARA-X所属選手たちが、入ってくれた。
奈良マラソン上位で走り続けてくれたから、応援してくれる人が増えた。
今のNARA-Xは、大井がいなければなかった。
たくさんの実業団チームから勧誘があったにかかわらず、私とのコンビ継続を選んでくれた。奈良に来てくれて、ありがとう。
感謝しかない。
福井で始まり福井で終わる
実は、コンビで最初に挑んだ日本インカレは「福井」でした
そうです。日本人初の100m9秒台を桐生選手が出しの日本インカレでした。
ちなみに、大井の決勝の次のレースが、あの100m決勝でした。
歴史的なレースを現場にいながら、大井を迎えに行ってて見れなかった。汗
そして、最後は、奇しくも ふくい桜マラソン で福井。
始まりも終わりも「福井」
これも運命なのかな?と思います。
最後のコンビチャレンジ。
思う存分、楽しんでこようと思います。
期待はしてませんが。笑
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