頓死
あっ死ぬ、と思った。
勿論死ぬわけではない。そう、実際に死ぬやつじゃなくって、口語としての。
要は、ああなんか急に落ち込んで何も手につかなくなってしまった、というやつ。
原因はわかっているのだ、
凹むことがあったのだ。悲しいことが。ひとりであることが。
体からふんわりと力が抜けていく感じがする。
腕が震えて、手指に力が入らない。オンライン授業中に、バレないようにパソコンのキーボードの上でいじっているスマホを、落としてしまいそうな。
座っているからわからないけれど、きっと膝にも力が入らなくて、立つにもふらふらだろう。
何かを喪って胸の中が軽くなるとき、寂しいでもしんどいでもなく純粋な悲しみの反応。
俺はまた誰かに何かを勝手に期待して、
そうしてひとりで喪ったのだ。
俺はまあ、ごく簡単に言えばひとりが苦手だから、誰かと一緒にいると力が湧いて。
好きな人たちのことを想うと、心臓のうしろの方にある広い穴が、温度を持った液体のような、としか言いようのない、温かいもので覆われて、
塞がってくれるのだ。
だから、俺はいつも、年中無休に、毎日、いっときも途切れることなく、
疲れも知らず、毎分、毎秒、息をするとき、息よりも休まずに、永遠にそれを求め続けている。
それが自分を消耗させていることを意識しないのは、
欠如が自分の人格の一部だから、
それがない自分が想像できない。
欠けたそこを埋めようと求めることが、
心臓が拍動するように、
瞳がまたたきをするように、
生命活動のひとつなのだ。
そのせいか、そのせいだろう、いつしか、誰かを好きにならずにはいられなくなっていた。字面ほど綺麗なものではない。むしろ皆が、汚らしいと嫌うそれだ。
ひどく自分勝手で、押し付けがましい。
それでいて相手のことをなにひとつ見ていない。
……それで、後輩に怒られたんだよな。
……。
愛そうとすることで埋められる穴があるからだ。
愛されたいから、愛する。生きにくさからの脱却を説こうとする、薄っぺらい自己啓発の記事に、よく書いてある。
まあ正解といえばそうなんだろうって、
でも俺の、俺たちのそれは少し違う。
詳しい原理は知らない。
学んだ気がするが覚えていない。
わかっちゃいるが言葉にならない。
とにかく「理想化」だの「恋愛依存症」だのと、
そう言われる一面を持つような、
わけのわからない大きな概念に、
含まれる善く無い何かを、
俺はまたやってしまって、そんで憂いては落ち込んで、滑稽な一人芝居を演じているのだ。
だが言わせてもらえるならば、今回のそれは、善いものの皮を被っていて、だから騙された。
今度こそ制御できると思っていた。
善くないものは甘く、ねとついて、脳髄にくるが、
善いものは味がなく、胸の内にゆるやかに来る。
見た目は後者だった、だからそれに頼ってしまって、
もしかしたら本当にそうだったのかもしれない。なのに使い方を間違えたから、
いつしか甘い甘い幸福の薬に変わり、また中毒症状を呈してしまった。
制御できるものならしたい。ひとりでいたい。でも無意識は藁にも縋りたいのだ。
どんなに考え抜いて、行動して、うれしい瞬間があって、私は満たされたと思えたところで、
それはほんの少し時間が経てば崩れて、無意識は悲鳴をあげる。
仮初の幸福で食い繋いで過ごしている、誤魔化し誤魔化し自分は大丈夫だと信じている、俺の自己欺瞞がふとした瞬間にあっけなく瓦解するさまには、頓死という言葉が似合う。