インソムニア-2
インソムニアだ。
昨日は少しやばかったけど、今日は大丈夫なんじゃないかと思ってた。だって、君がいるし。安心材料、だし。でも心のどこかでは、不安を覚えてた。だって、隣に人がいる訳だし。それって、寝にくいし、居心地、悪いし。
君の隣で目をつぶった時、もう既にかなり眠くて、いいや、眠剤が効いたときってじつは眠いんじゃなくて、脳がかったるくなってるだけなんだけれど、こんなこと言ったら君は心配するかな。とにかく、おやすみもろくに言いたくないほど、脳みそ率いる体を動かすことはかったるくて、もう動きたくない、みたいな。なんか、そういうとき、ない?ふと、景色に関係なく、目線を動かしたくない瞬間が訪れる、とか、別に眠くないけど、今は寸分たりとも、体は動きたくない、みたいな。そうして、投げ出した手首を見つめてる。
だけれど、その時俺の上にはしっとりとした暗闇が……いや、電気は消してるんだから真っ暗なはずなのだが、何故か頭の中の景色で俺は発光していて、モノクロームの写真みたいな褪せた質感の中で、闇と、自分と、布団と、ひかり。
思えばそれが既に、「あれ」の兆候だったというか、そもそも体が動かないのに頭だけが鮮明に(想像上の)視界を見ている状態が、「あれ」そのものというか、ともかくその、見えない部屋の天井と闇と、白いひかりを見た時俺は「あ、まずい。」と思ったんだな。もちろん、「あれ」……恐怖に、取り込まれてしまう、入ってしまうこともまずいのだけれど、その時私はただひたすら、「君の隣でさえこんなことになったと知ったら、ひどく心配と負担をかけてしまう」ということを強く想っていた気がする。ああ、寝る前に生死の話なんてしたからだな、違和感を無視して、違和感のある頭のまま寝たから、とも。眠ってはだめなときというのが、なんとなく、わかるようになってしまっている。
経緯はどうあれ、私は恐怖に捕まった。頭の先まで浸かった。体は動かない。寝ているからだ。ずっと昔、ニュースでやっていた、夢を見ても体が動かない仕組みを見た時から、そのイメージ以外で考えられなくなっている。それはでっかい人間の模式図で、脳から太い神経回路が、末端に至るまで伸びているのだけれど、喉のあたりに…ガチャガチャのレバーみたいな、でっかい、回路が回転する部分があって、そのレバーを喉に対して垂直になるように回すと、回路は切れて、末端へと信号は届かなくなる。寝ている時、体が動かないのはこういうことだ。この理屈だと、喉より上にある顔の神経は動くことになるのだが、まああくまでイメージでしかない。
そのようにして俺は、体を動かす機能が完全に途絶え、動かしているように思えたとしてそれは夢の中の幻覚、あの感触のない、重力のない、走れない感覚。息だけでは、声にならないことと似ている。俺は君の方を向いていた。何度も名前を呼んだ。起こしちゃうこととか、呼んでどうするのかとか、どうしたのって聞かれてまさか金縛りに遭ってたなんて言えずに答えに窮して、心配かけることとか、何も考えてなくて、それほど怖かったのかは正直よく覚えていないけれど、何度も何度も名前を呼んだ。君のうなじに向かって。だけれど、君が答えないってことは、多分聞こえてないんだろう、声が出せないってことは、やっぱり「あれ」の中にいるんだろうと思った。
起きようとして息が荒くなっているのは、外から観測できたと聞いた。だからせめて息遣いだけでも気づいてくれと思ったり、こんなに近くにいても俺の声は届かないのだという、奇妙な諦めがあったり。最後には「おやすみ」と言おうとした。
おぼろげな記憶ながら、君が最後、ほんの少しだけ「あれ、まだ起きてたの」というようなことを、声に出すのが聞こえたような気がする。俺はその時、胸の辺りから、喉、頭って、破裂するように起きた気がする。君が起こしてくれたから、それまでの恐怖もどこかへ散って行ってくれた。
それはだからきっと、どちらかといえば夜の事だった気がする。俺は何かをつぶやいて、また眠りに落ちた。
8時に起きるつもりが、なんだかもっと前に起きた。8時前には起きないであろうほどに、眠剤はしっかり飲んだのだが。「あれ」に捕まったのが何よりの証拠だ。6:50にセットした、ご飯の炊ける音が聞こえた。朝は朝で、今考えると、夜と真逆の状態で、とにかく起きていなくてはならなかった。いや、「あれ」の最中もどちらかといえば起きることを目指しているのだが、その後にまた眠りがある。眠るために体を起こし、恐怖を追い払い、今度こそ頭と共に眠るのだ。
朝のインソムニアは、眠りが私を拒絶する。
頭の中に大量の虫……といってもそこまでグロテスクではなく、ホワイトノイズのような、ドライアイのしょぼしょぼとした感じが脳にまで達したような、とにかく心地の悪い感触がするから、頭が眠気でいっぱいでも、目が乾いて痛くても、目を開いて起きていなければならない。目を閉じていると、すぐにノイズが“いっぱい”になってしまうからだ。同じような理由で、いてもたっても……もとい、寝ても座ってもいられず、がばりと起き上がる。とにかく動いていなくてはならない。私は昨日の残りのかぼちゃカレーを小さな黒いお椀で温めた。レンジの20秒や30秒を待つことが出来ないので、歩き回ったり、冷蔵庫を開けてみたり。刺激があって、現実に呼び戻してくれるもの(もしかしたら、現実から目を逸らさせてくれるもの、かもしれない)にすがりついていなければならない。
でも夜の「あれ」よりは、朝の方がまだ楽かもしれない。眠気とドライアイにだけ耐えればいいからだ。
長い間起き上がってはいられないので、ベッドに戻ってかぼちゃカレーを食べていたら、君が起きて、「、……カレー…!」って驚かれたから、「苦しかったから食べた、もう大丈夫」と答えた。いったい何がもう大丈夫なのか、会話が微妙に噛み合っていない。じつのところ、あんなに脳が障って気が騒いでいたのに、かぼちゃカレーをひと口食べただけで本当に気が抜けてしまった。こんなあっさりと、明確に終わったのは初めてだ。かぼちゃカレーのおかげか。恐るべし、かぼちゃカレー。私はかぼちゃカレーを持ったまま、再び眠りに落ちてしまった。君に、行儀が悪いと思われていないかだけが心配だった。苦しかったり、眠気と闘う朝の中では、よくすることだから、そちらにこそまったく気が抜けていた。
次に起きた時、かぼちゃカレーの器とスプーンは壁とマットレスの隙間にはまり、まだ均衡を保っていた。