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黄昏時のゆううつ
ささやかなこころの動きのあいまいさを愛する人間が、
日常の体験をあえてことばにすることを試みます。
赤子すら反応すると言われている黄昏時のなんとも言えない空気感。西日本から移住してそろそろ四半世紀が近い!にもかかわらず、秋から冬の東京の日没の早いことにはいまだ慣れず、この時期になると毎年このざわざわと不穏な気持ちの正体を考えさせられる。
今日の黄昏時(今日に至っては雨がざあざあ降ってさらに沈鬱)に夕飯の支度をしながらふと、これはすべきことを先延ばしにして焦りはじめたときの気持ちに似ているかも?という気づき。
実家での生活で、昼ごはんがおわってすぐ夜ごはんの支度を仕込みを始める母親を、よくやるなぁと半ば呆れて眺めていたけど、コンビニもUberもなんなら目の前に気に入りのたこ焼き屋さんもある現状でも、わたしは「ちゃんとごはんをつくる」ことに縛られているのか…。
いやだな。もうちょっと考えてみる。
わたしは食べることが大好きなので、一食一食がとても大事で、働いていたときのコンビニランチですら、よく迷っていた。それに加えて最近、とにかく野菜が好物になっていて、外食が多かった時代も、野菜をおいしく食べられるお店を好んでいた。
決して料理が得意でないのに、食べたいものを食べるには家で作るのが一番近道ってことになっている近年。
自分で自分の首を絞めている気がしてくる。
わたしが高校まで過ごした広島では、出前のお好み焼きというのが1週間に1度くらいの頻度で夕食のメニューになるという素晴らしい文化がある。カッコよく主婦業をこなしている友人には、かならず近所に気に入りのお店や定番メニューがある。
赤子は今日のタスクも夕飯の準備も考えてないだろうから、万人に共通する黄昏時のゆううつとは別モノか。
毎回毎食食べたいものを模索するのでなく、自分なりの食文化をつくっていきたいな。