赤子すら反応すると言われている黄昏時のなんとも言えない空気感。西日本から移住してそろそろ四半世紀が近い!にもかかわらず、秋から冬の東京の日没の早いことにはいまだ慣れず、この時期になると毎年このざわざわと不穏な気持ちの正体を考えさせられる。 今日の黄昏時(今日に至っては雨がざあざあ降ってさらに沈鬱)に夕飯の支度をしながらふと、これはすべきことを先延ばしにして焦りはじめたときの気持ちに似ているかも?という気づき。 実家での生活で、昼ごはんがおわってすぐ夜ごはんの支度を仕込みを始
報酬の発生する仕事と比べて遅々として進まない日常の掃除や片づけ。 たまにスイッチが入って、クローゼットの整理や衣替え、布団の入れ替えのような、オオモノの家事をえいやとひとつ片づけると、今ならあれもこれもやれちゃうかも!?という気分になるけど、ダメダメ。 オオモノひとつ片づけたなら、今日は閉店ガラガラ、夜ごはんのおかずは一品少なくしよう、くらいの心持ちでいなくては。人生も中堅になってくると、ここでもうひと仕事頑張ると、それどころか通常モードを維持しようとするだけでも、しわよせ
罪悪感ということばはよく耳にするし、自分も使うけど、実際のところその中身を、しっかりとつかんで手触りをはっきり自覚できていなかったと思う。 ちょっとした嘘をついたり、誰かにチクチクしたことを言ったりしても、それにはそれなりの理由があるから仕方なかったと、自分の味方をしがちだし、正当な理由なく誰かを傷つけたときは、何やってんだ自分!と腹立たしくなるけど、罪悪感ということばはしっくりこなかった。 最近、これが罪悪感かもしれない、と思った体験がある。親の色々にイライラしてトゲト
遊びにきてくれたともだちが帰ったあとの、ひとり静かな空間がやけにさみしく感じられるというのはよく言われることだけど。 大人になった今、みんなで飲み食いしたあとを片づける時間がなんだか好きになった。たのしくわいわいしたときを噛みしめる感覚。 それなのに、なぜなのか。 家族で食べた夜ごはんの後片づけをなんともおっくうに感じるのは。 日常の食器洗いも、宴のあとのようにこころ躍ればいいのにな。
noteを始めてみて早3ヶ月。 出産の直前のことだったので、子もいつのまにか3ヶ月。予防接種や、車でのおでかけや、着々と初めての経験を積み重ねて、毎回が大冒険のような気持ち(わたしが)。 そんななかで、家の中で過ごしていたときのように、お腹すいた、眠い、と泣いても、すぐ手を差し伸べられないことも。お腹すいてるし眠い、のダブルパンチを、やむを得ず放置することになると、たまにパニックになり手がつけられなくなる。 泣きすぎるとミルクも飲めないので、ひたすらだっこするしかないのだ
予定のない1日、やる気が出るのはいつも3時から4時の間くらい(今まさにその時間)。 まだ明るい時間が残ってる。遠出はできないけどまだひとつふたつたのしいことができそう。 張り切りすぎて疲れちゃうこともなく、穏やかな時間が過ごせる。 夕方の入り口が近づいてちょっと急かされながら出かけてみよう〜♩
今年は暖冬のわりに桜が咲くのがゆっくりで、桜を待つほくほくした気持ちを堪能。明日あたり、お天気になったらお花見に行きたいな。 この1ヶ月の間に、出産、ほとんど初めてといえる入院を体験した。退院したあとは、これまた子どものときぶりに、親にたっぷり頼る生活。 ありがたいことに大きな病気やケガをすることもなく、おとなになってからはそれなりに自立した生活を送ってきたので、周りのひとに盛大に頼らないといけない状況は、新鮮というか、居心地が悪いというか。 そんななかで新生児と過ごして
毎年この時期って、 苦手な冬が早く過ぎ去ってほしいのに、 春を待ち焦がれる気持ちが終わるのもさみしい。 という、なんともこじらせた心情になってしまう。 蟄虫啓戸 すごもりむしとをひらく 七十二候もこう言ってるから、少々ざわつくくらいがこの季節らしい反応なのかな。 とはいえ、花粉とか寒暖差とか気圧の急変とかの影響で、体調を崩しがちだし、年度末とかお別れとか新しい生活に向けてとか、気持ちも忙しくて、やっかい。 そういうときは旬のもの、季節を感じるものを取り入れて、こちらから