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あらすじを書くぐらいがちょうどいい(24.10.31)

何か生み出したいのに、生み出しきるのがめんどくさい時がある。

想像したものや感覚を具に言葉にしてしまったら、何か違うものになってしまう気がしてすごく気持ち悪く感じる。難儀だよなぁ。

だから、毎回架空の小説のあらすじを考えるぐらいにとどめている。様々な余地があるほうが私にはちょうどいい。書ききることがストレスなら、書ききらなければいい。そして別に毎度誰かに読まれることを前提としたものを書かなくていい。なら別に日記でいいじゃん。そうだね。

例えば、私は将来妖怪になるという大きな夢があるので、そこから着想を得て現実逃避がために架空の小説のあらすじなんかをよく書いている。

ブライダル業界に勤めるサチコは、30代半ばを目前に結婚詐欺にあう。人生に絶望する中、ひょんなことから遭遇した狐のウェディングパーティーに巻き込まれ、司会をすることに。---『それでは、新郎新婦によるケーキ入刀です』

これはもうほぼ自分の願望みたいなものが入っている。私は現在27歳でサチコと年齢は離れているが、もしかしたらサチコのように30代半ばで家庭を築く幸せにたどり着けない可能性だってある。女には、もし金があったとしても時間が確実にない。タイムリミットがある。そんな時、狐の嫁入りに遭遇せずにどうして「人生まあいっか」となれるだろうか。そのくらい現実離れしたものの承認を、否が応でもしなければならない状況でないと「なんだよたかが結婚を逃したぐらいで」とはならない。そのくらい、私にとっては「世間ではあたりまえの幸せ」には日々うなされている。

別になかったらなかったでいいし、しょーみめんどくさい。そもそも他人と共同生活をするのは根本から向いていない。ので、周囲やSNSからの「幸せとはこうあるべき」はとても恐ろしい。私は自分をすごく強く持っているわけではなく、自分でも思ってる以上に他人の意見を聞く余地をめちゃくちゃ残しているので幸せの定義についてはすごくうなされる。煩わしい。

そんな将来に対する不安に苛まれた夜には、狐の嫁入りに遭遇する妄想をするしかない。で、一番重要なのが、翌朝には現実を生きていくしかないということである。

そんな感じ。

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