【自民党史:前史②】

東久邇宮内閣の後を継いだのは大正~昭和初期にかけて外務大臣として活躍した幣原喜重郎である。外務省のオールド・リベラリストであり、対米英協調を主導した人物であったので、GHQとの折衝を期待され担ぎ出された。GHQによる改革をこなしていくが、特筆すべきは憲法改正問題であろう。当初は消極的だったが、GHQからの圧力により憲法問題調査委員会を設置。松本烝治博士による試案を作るが一蹴され、GHQによる草案を採択せざるを得なくなった。特に、憲法九条については幣原とマッカーサーの会談において提案された。表面上は幣原の発案とされているが、マッカーサーが発案した可能性も高く、今となってはどちらか分からないままである。
その後、GHQの意向により衆議院は解散され、戦後初の総選挙となる。自信の権力基盤を持たない幣原は、何とか延命を図るも鳩山一郎らが創設した日本自由党に第一党の座を奪われることとなる。


近衛文麿は憲法改正問題に独自に取り組むも、GHQから梯子を外され、戦犯指定を受けて服毒自殺を遂げた。


★主な閣僚
外務大臣:吉田茂(前内閣からの留任)
国務大臣:小林一三(阪急グループ創設者

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