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#1 ネッ友とリア友の境界線
はじめに
前回のnote、思いの外たくさんの人に読んでいただけたようで… さらには感想まで伝えてくれたりと、とても嬉しいです。ありがとうございます!
ネッ友の定義って…
「ネッ友」や「リア友」という言葉が当たり前にのように使用される世の中であるが、自分自身、ネットとリアルの境目が曖昧になってきているように感じる。そこで今一度、検索をかけてみることにした。
すると、Wikipediaでは以下のような説明がされていた。
ネッ友(ネッとも)はインターネット上だけで親交があり、現実世界では接点のない友人を指す日本の俗語、インターネットスラング。インターネット友達の略。「ネトモ(ネ友)」、「ネフレ」などとも呼ばれる。主にゲームやX(旧:Twitter)やFacebook、Instagram、TikTok、ツイキャス、mixiなどのゲームやSNSやチャット等で知り合う。反対語はリア友。
この説明を読む限りでは、会ったか会ってないかが焦点となるようだ。
少し逸れてしまうが、「ネッ友」というワードを検索していて、度々「リアル」や「現実世界」という言葉が出てくるのが個人的におもしろく感じた。「ネッ友」がまるで架空の存在かのような扱いじゃないか…(🪿「そんなところで引っかかっていてもしょうがないよ」)
前回の記事『#0 安心とはなんだろうか 』では全く触れていなかったが、自分はアイドルグループ櫻坂46のファンである。このnoteでも名乗っている「なっぴい」についても櫻坂46ファンアカウントの名前だ。そのため、自分にとってのネッ友は、必然的に櫻坂46のヲタクということになる。
▼ 前回の記事
ネッ友と初めて喋る。
4年ほど前からファンアカウントを動かしているが、基本的に自分はネッ友との交流はテキスト上のやり取りのみで行っていた。
しかし、「Discord」との出会いがこれまでの価値観を覆すこととなる。「Discord」とは、説明するまでもないが、チャットのやり取りのみならず、ボイスチャットを通じてコミュニケーションを取れるサービスである。
このアプリを知ったのは、仲の良いヲタクから「Among Us」という人狼系のゲームの誘いを受けたことがきっかけだった。仲良くしていたとはいえ、ネット上で繋がった人たちと喋るということは、当時の自分からすると未知の世界だった。
この時、ボイスチャットに4人が集合して、初めてみんなの声を聞いた。テキスト上でのやり取りでは、いまいち実態を掴めずにいたが、「確かに存在する人たちなんだ…」と感動した記憶が今でも残っている。
既にゲームのルールの知っているヲタクからレクチャーを受けた。この時、ゲームが楽しいという感覚はもちろんあったが、コロナ禍で友人もできずにモヤモヤしていたこともあり、ネッ友とはいえ"友人"と話せていることへの喜びが大きかった。
この日、ゲームをやめた後も朝までヲタクと語り明かした。初めてとは思えないほどに深い話をする中で、共通点も見つけることもできた。
そこからというもの、毎日のようにDiscordに集まってはヲタクと話すようになった。これが当時の自分にとって、一番の生き甲斐となっていったのは紛れもない事実である。もはやネッ友という枠を越え、リア友のような感覚が芽生えていたように思う。なんなら、Instagramのリア垢を交換していたこともあり、会ったことはないのにお互いの顔を知っているような状態。今思えば、不思議な関係性だった。
それから、共通のフォロワーがゲーム仲間としてDiscordのグループに少しずつ加わり、自身のコミュニティも広がっていった。
ただ今振り返ると、みんなに頼りすぎていたなと少しの反省がある。でもあの日々は、自分にとって確実にかけがえのない思い出となっている。
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ネッ友と会うということ。
アイドルを推していると、ライブやリアルミート&グリートなど様々な対面イベントに参加する機会がある。そこで仲良くなったネッ友(ヲタク)たちと会って交流することも楽しみの一つだ。
その話をすると必ず聞かれるのが、「ネット上と会った時のイメージが違うことはないの?」という質問だ。確かにイメージが異なることは全然あるが、それが醍醐味でもある。そのためかヲタクの現場では、見るからにタイプの異なりそうな人同士が仲良さそうに推しについて話したり、写真を撮影している場面に遭遇する。そんな場面を見るたび、なんとも言えない幸せな気持ちになれる。
このような現象が起きるのは、交友関係を築く上での偏見が軽減されるためではないだろうか。日常生活の中で築かれる人間関係では、似たような感覚、雰囲気を持ち合わせている人と仲良くなる場合が比較的に多い。実際、自分の友達もそんな感じ。逆に言うと、自分の場合は、ガツガツしている人やイケイケな雰囲気の人、ファッションが派手な人を見ると、心を閉ざしてしまうところがある。その時点で、自分の中での"仲良くなれそうな人リスト"から外してしまうのだ。見た目や表面上の雰囲気で判断するのは良くないと理解しているが、この問題はなかなか難しいところである。治していきたい。
ネッ友はその点で言うと、外見への偏見は限りなく0に近いと言える。共通の好きがあるだけで、人と人はこんなにも距離は縮まるらしい。推しの力を実感する。
先にも書いているように、会話したことがあり声を知っている人と会う場合には、「目の前に聞き馴染みのある声で話す人物がいる」という現象が起こる。これもまた、ネッ友と会う時にしか味わえない特別な瞬間だ。
さらにInstagram等を繋がっていて顔を知っている場合は、もうリア友と同様の感覚でぬるっと合流してしまいがちではあるが、1年や2年越しに初めてあった時の感動は今でも忘れられない。
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結局のところ…
最初の定義で言えば、一度でも会ってしまえば「リア友」となるのだろう。
でも、自分にとっては会ったことの有無は、あまり重要な意味を持たないように思う。ここまで散々話しておいてなんだが、ここまでネットが普及している中で、「ネッ友」と「リア友」という枠でカテゴライズすること自体がナンセンスに感じる。
実際、ネットで繋がった友人にもプライベートなことで相談するし、ある程度の個人情報もお互いに知っているような関係である。そのくらい信頼している。知り合ったきっかけがネットだっただけにすぎない。
これで誤解してほしくないが、ネット上で友人を作ることが完全に安全であるとは思っていない。もちろん危険性も孕んでいる。ただ、そこに関してはリアルでの人間関係と同じで、信頼できる人なのか見極めは必要だ。友人は作ろうと思ってできるものではない。関わっていく中で結果的に友人になっていたというのが、友人関係を築く上で健全なのではないだろうか。(と過去の一人だった自分に言いたい)
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おまけ〜
自分が思っている以上にこの曲には支えられていると、この記事を書いていて実感。予感を信じてきた結果が今だと思う。ほんと人には恵まれている。
てか最近、ビーバーのライブ行けてないな。またパワーを貰いに行かねば!
予感のする方へ 心が夢中になる方へ
正解なんて あって無いようなものさ 人生は自由
今 予感のする方へ 会いたい自分がいる方へ
他人の目なんて あって無いようなものさ 感性は自由
名も無き感動に 感情に 想うがままの名前をつけていこう
おまけ〜2
今回のカバー写真は、櫻坂46 的野美青さんのVlogに登場した百道浜の風景。思いの外、奥まった場所にあって、探すの苦労したよ…
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▼ 的野美青さんのVlog(写真の場所は1:45あたり)