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nap 64. 一年もあれば、の話

「1年もあれば、人生変わるかもしれんもんな」

一週間前、幼馴染がそう言った。

彼女は、一年前は恋人すらおらず、くさくさしていたそうだ。しかし、縁あって今の彼とお付き合いすることになり、ついこの間、プロポーズされた。

対して、未だにくさくさしていた私。
幼馴染を祝福する気持ちとは裏腹に、
「そうは言っても、私の一年後なんて今と大してなんも変わって無いんやろうやな〜。」と、口にはしなかったものの、希望は1ミリも湧いてこなかった。

その頃の私は、望んだ転職を目前にしていたにも関わらず、気分が全く弾まなかった。
気分は弾むどころか、「あああああ、新しい環境、嫌やなあ〜〜〜…。」と、落ちる一方だった。
すべてがめんどくさいと感じていた。

それから私の人生は、一年どころか、一週間でまるっと変わってしまうのだった。


転職先に勤めてニ日目の夜。
なんだか身体も気分も重いけど、新しい環境が始まったばっかやし、おまけに生理前やし、いつもの調子悪いやつが重なったんやな〜。最悪や〜。と思いながら、なんとか耐えていた。

「うだうだしとってもしゃーないし、歯磨きでもして寝るか…」

洗面所へ歩いていって、歯ブラシを手に取る。
歯ブラシに歯磨き粉を"にゅーっ"と押し出す。
いつも見ている、
なんてことのない光景なのだけれど、
それを見ていたら、涙が出てきた。
鏡を見ると、私が泣いている。

それから、涙が止まらなくなった。

歯磨きを終えても、涙が止まらない。
涙が粒になって、パタパタとこぼれ出てくる。
タオルで何度も拭いながら、私は困った。

「まだ2日しか行っていないのに、明日の仕事どうしよう…。」

人と喋れる気がしなかった。
今は一人なので、静かに泣いているが、誰かに何かを喋ろうものなら、嗚咽になって会話にならないだろうと思った。

母にLINEを送ると、すぐに危険を感じ取り、「とにかく明日は、なんとでも言って休みな。」と私を守った。

次の日も、朝から忘れることなく泣き通しだった。
泣いては、落ち着き、また泣く、しばらく落ち着くを繰り返した。

お昼過ぎ、泣き疲れてお腹が空いたので、チキチキボーンと白ごはんを用意した。
チキチキボーンをひと口かじると、濃い味がした。
その瞬間に、また涙があふれた。
泣きながら、「ごはんに金胡麻かけたら美味しそう。」と思い、泣きながら、キッチンへ金胡麻を取りに行き、泣きながら、白ごはんに金胡麻をかけた。

しばらくボーッとした後、好きなドラマを観た。
なんとなく愛らしいシーンに鼻で笑うと、また涙があふれた。

回路がバグっていた。
美味しい、可笑しい。なんであれ、些細でも感情が動くと涙が出るようになってしまっていた。

悲しいとか、寂しいとか、そんなこともなく
一日中、ただただ、涙が溢れ出てきた。

でも、この数日間ずっと、泣きたい気持ちがあったのだ。ほのかに、ずっと泣くのを堪えていた。
昨晩から泣き通しの一日には、微かな心地良さもあった。


それから事はとんとん拍子に進んでいき、
母は、その日の晩に3時間弱かけて地元から車で駆けつけてくれた。
そのとき初めて、母を今の自宅に招いた。
「いい部屋やねえ」と、母は色んなものに興味を示して、私は自分の好きなものをたくさん紹介した。その頃には少し落ち着いていたので、普通に会話ができていて、仕事道具、好きな本、窓からの景色、観葉植物、その全部の話を楽しそうに聞いてくれた。

そのまま、母は私を実家へと救い出した。
下着類にTシャツ2枚、必要なものだけを鞄に詰めて、それはまるで夜逃げのようだった。
お腹を空かせた私たちは、夜中にびっくりドンキーでハンバーグを食べて、それからまた、長い道のりを軽で走り抜けた。


あの夜から、更に一週間が経った。
外で働くことは辞めて、しばらく実家で暮らすことにした。
一年どころか、一週間にして私の生活はがらりと変わったのだった。

先のことが何も分からない。
私の生活はどこへいったのだろう?
私から離れることなんてないはずなのに。
そう、私は、決して、私の生活から、手を離してはいけない。

リセットされた私の生活は、チャンスともとれるし、多大な徒労感もある。

母のおかげで毎日へらへらしたりしているが、
やっぱり、ほのかにずっと泣きたいような気がする。

わたしはずーっとわたしなのだ。

つづく。

#生活 #日記 #エッセイ #仕事 #適応障害  

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