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Fと時空

過去と行き来

藤子F先生のミュージアムにこどもと行ってきました。
もちろん私自身ドラえもんは大好きでした。

これを読んでくださっている方で年配の方はきっとこれまでの人生で2度や3度こういった感覚に遭遇したことがあると思ってます。
それは、偶然でも意図してでもいいのですが、ある空間を訪れたことがもたらすその人にとって時間という時計を一瞬にして巻き戻し、その昔経験した空間といま目の前にある空間を美しい重ね絵のよう切なくも全身細胞が言葉を発せられないままうれしい想いを作ってくれる。
また面倒な言い回しをしてしまった。ひとことでいうと、ある種のなつかしさをもたらす場所がその場所と重なって感じただけ。たぶん、それは空間(場所)だけでなく、音であったり、味であったり、においであったり、と。青春時代の好きだったMusicとはちょっと違う。それってそのままのどんぴしゃだから。うまく、表現ができないわたし自身もごもごです。。。

で、そのミュージアムがわたしにとってのそういった空間だった?
いな、ここに書きたかったことはそうではないんです。藤子F先生が数多く残した、いわえる「バク売れ」の子供への漫画ではない、若干大人が楽しむ漫画をいくつか読んで、「あぁそうなんだ」と思ったこと。
藤子不二雄の研究をしている方はいると思うので、あまり余計なことは言えないですが、いくつかそこで読んでいて素直に感じたことは、「過去・現在」の行き来が描かれた漫画が多いっていうこと。そう、ドラえもんだってタイムマシンだったよね。
ひとはみな、過去の自分に会い何かを伝えたいという想いを持っているような気がする。しかも、未来はこうあったらいいな、こういう風になってるといいな、と勝手に想像している。そして、過去は変えられないことは当然知っているし、そういう未来になることもほぼ妄想っていうことも知っているけど、そういった空想にふけられる瞬間をそれらの漫画は与えてくれる。

ミュージアムには漫画がたくさんあったのですが、多くの時間もなく、もともと物心ついたころから突然漫画は全く読まなくなったのこともあって、目次タイトル見ながらピックアップして読んだもののいくつかが、たまたま自分的に大谷級大ホームラン。
「劇画オバQ」
特段おばけのQ太郎が大好きだった記憶はなかったけど、アニメはそれなりに見ていたかな。なので、この時間の隔たりはちゃんと把握できて、ストーリーを本当に楽しめました。絵体がいつものタッチじゃないのがまたいいんですね。おそらくこの作品を「いいね!」と感じるには、ある程度の年齢層に達している必要、あり。
「ノスタル爺」
ちょっと手塚治虫のカノンを感じたところ。このカノンもなぜか図書館で、たまたまタイトル見てて選んで読んだもの。郷愁、切なさ、戦争による人生の無慈悲な翻弄、そうそして、過去・現在の行き来。こじんまりした小編にしておくのは本当にもったいない作品たちと思っています。

わたしがこのミュージアムにふたたび訪れることはないでしょう。
たぶん、我が子がこのまま無事に大きくなって家族を築いた際に、かれとその子供たちがここに訪れて、かれがわたしが昨日感じ取った想いにきっとなってくれるのではないか、という未来の彼らに!


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