良い学校・悪い学校 -もし楽先生-

俺は、みんながより自然に生きられることが大事なんじゃないかと思う。だから最近は、どうしたら子どものうちから自分で自分の力を使って、人に価値を生んで対価を得る、ということができるようになるのかな?と思ったりする。たくさん教室で準備をして、でも結局自分で生きていく準備なんて何一つできてない。なんなんだろうそれ、と思う。

良い学校、悪い学校、という概念がある。それってなんなんだろう、と不思議に思ったことがある。あるとき、九州のある市で、「ここは1、2を争うくらい良い学校です」と教育委員会の人に紹介されて行った学校があった。中心部に近い、いわゆる富裕層の人の多い地域だ。教室に入って授業を観察しているとおもしろいことが見える。子どもたちは、授業をする前から、先生が授業で何をして、何を求めてるか先回りしてわかってる。そして先生の質問を待って、お決まりのセリフをいう。そんな時間が展開されていく。なんじゃあこりゃあ、と思う。みんな今この瞬間にいない。とりあえずやっている。小学校3年生の時点でとりあえず、をやっている。

かたや、田舎の学校でキャリア教育が進んでないから、という理由で講演に行った学校があった。確かに田舎だった。でもその学校の風景というのは、なんともナチュラルで、子どもも先生も、人として存在している感じがある。なんか、いい意味でとっても普通だった。自然と暮らしている。確かに外から来る人への反応はとても敏感だったりするのだけど、ちゃんと温もりを感じられる。そして講演を実際やったときの反応も、とてもよかった。反応というのは参加の仕方ではなくて、感想の方。自分の言葉で書いてくれたんだな、ということが伝わってくる。

人生の経験が違う分、何のために学校があるのか、良い学校悪い学校とはなんなのか、ということはかなり多岐にわたって変わってくるのだろうけど、人が人として自分で生きていく、ということはとても価値のあることだな、と個人的には感じている。そしてそのためのスキルは、そう生きようとしたときにしかわからないような気すらする。

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