一発ギャグと「実用国語」(メモ)

 昨年から、新共通学力テストや新学習指導要領などの教育改革が話題となっている。学校現場は、新たなニュースにバタバタするばかりであったと思う。現在のコロナに対しての「休校」の急な要請に対しても、場面は違えども、「共通テストの廃止」や「記述式の廃止」に対しての動揺と何か似たものを感じた。

 さて、そのなかで「国語」の改革が注目されている。(自分が国語の教員なので、その話題に敏感になっているだけかもしれない)ここでは、今日ふと思いついたことを述べたい。

 今日「山田玲司のヤングサンデー」の「芸人の世代クロニクル」をぼんやりとみていると、「ゼロ年代から『エンタの神様』がお笑い界を彩り、一発ギャグ芸人が出てきた」ということを言っていた。

 自分の中学校時代のころを思い出し、確かに「ざんねーん!」とか「いいよ!」とか、先生がやっていたなーと懐かしく思った。しかし、ふと「ゼロ年代」と「一発ギャグ」というワードが、昨日見ていた本田由紀さんの動画とつながった。どうつながるのか。

 それは、ゼロ年代以降の不安定な社会のなかで台頭してきた一発ギャグ芸人というのは、「非正規雇用」と重なるのではないかということだ。芸人の勤務形態がどうなっているのか、知識はないので(まあ、よくはないだろうというのはわかる)、「働き方」という観点ではなく、その「不安定さ」という点で対応しているのではないかと考えた。そういえば、「一発ギャグ」で思い出したのだが、演劇をやっている先生が、「今の生徒は、その瞬間だけの快感を求めたがる。それは、演劇の脚本にしてもそうだし、スマホのゲームもそうなっている」というようなことを言っていた。

 そして、教育はどうか。上記のものに共通するのは、「扱いやすさ」であろう。その瞬間だけ働いてくれればよい、その瞬間だけ流行ってくれればよい、その瞬間だけ快楽をもたらしてくれればよい。このように考えていくと、教育に、とりわけこれからの「国語」に求められている「実用性」には、「その瞬間だけの」というカッコ書きがつくのではないかと思ってしまう。

 

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