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拉麺ポテチ都知事42「忘れられた演説歌」

いきなり寒くなって驚いた。ロンT2枚で間に合うかなと思いきや、足りなさすぎて道玄坂で凍えている。私は本当に渋谷という街が好きだ。中心ではなく奥渋とか、恵比寿方面、番外地である円山町を自転車で走ると心が落ち着く。その理由はまたいつか書きたい。

実は安倍元総理の国葬の日に日本武道館の周りをサイクリングしたのだが、リアルタイムで書くのを忘れていた。Twitterに動画を上げたので興味がある人は見てほしい。

そして初めてメディアから「お怪我はないでしょうか? この動画はあなたが撮影したものですか? もし差し支えなければこの動画を〜」という有名なDMを受け取った。断った方がいいと言われるかもしれないが、クレジットすることを条件に承諾。だが結局使われていないと思う。折角だから使ってほしかったなあ。

あの日は、四ツ谷駅前くらいから交通整理が始まっていた。警察が4メートルおきくらいに配置されているのと、献花の列もすぐそばまで来ていたのが異様だった。これくらいの警備を奈良でするべきではなかったか・・・。最短ルートを選択すると警官に自転車を引けと言われるので、迂回しながら日本武道館を目指した。

国葬の列は本当に長かった。平日の昼からこんなに人がくるはずがないという声はもちろんあるだろう。確かに欅坂46のデビュー日をはるかに超える人が集まっていた。そのひとりひとりの事情を検証することはできないが、少なくとも暇人の私が純粋に現場にいたことは確かである。

現場が目視できるような距離になってから、自衛隊による弔砲の重低音が何発も響く。しかし、それ意外は随分と静かなものだった。たまに国葬に反対するデモ隊らしき人々はいたが、取るに足らないもの。それは献花の受付の前に至るまで続いていた。弔いの静寂だったのだろうか。

空気が変わったのは、靖国神社の前からだ。急にざわついて国葬に反対するという内容の罵声が響きだした。それに反対する通行人による反撃の声もある。さらに「国葬防衛」という右翼のマイクパフォーマンスも始まって、いきなりカオスになった。

ただ四ツ谷駅と比べて、そこで行われていたのは靖国問題的な日常であり、大きく見積もっても「みたままつり」だったと思う。靖国前という政治パフォーマンスのメッカで彼らは非日常に興じていたのである。身の危険をまったく感じなかったし、人の流れに逆行する余裕もある、そんな他人事な光景。

もしガチな学生運動を目前にした人々から当時の話を聞ける機会があれば聞いてほしい。都心から流れてきた暴徒たちの投石を恐れて、世田谷の商店街は軒並みシャッターを降ろしたという。その様な緊迫感を右左関わらず、あの日いた活動家から感じることはなかった。あそこで繰り広げられたのは、学生運動とそのカウンターのコスプレに過ぎなかった。

本当に訴えかけたいと思ったら、四ツ谷から並ぶ献花の列など、クリティカルな場所を考えるべきだ。そして令和の玉音生配信でも無理だと思われる、日本のマスク着用の半ば義務化をどう着地させるのかを考えてほしい。恐らく彼らは公共の場でマスクを外すこともできないだろう。そんな勇敢さもない人々に私は説得されることはないな多分。

何となくリアルタイムで投稿しようと思わなかったのは、そんな理由からである。このぼんやりとしたガッカリ感を転換しようと、ノーマスクの外国人2組(fromカナダ/キプロス)に話しかけた。両者とも「日本人が政治的プロテストをするのは珍しい」と言っていたが、どうやら彼らにコスプレであることは伝わっていない様だった。

ひとつ理解できたことは、日本の夜明けは70s学生闘争型の政治運動とは別のベクトルで起こるはずだ、ということである。昔も書いたが、政治屋は音楽やアートをもっと学んだ方がいい。演歌が「演説歌」の略称であることを思い出せ。個人的にはそれが肝要なのではないかと考える。


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小池直也
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