アリアナ・グランデと平塚らいてう/女性は月から宇宙になった
私は文学部で日本文学を専攻していました。卒業論文は文学家/きものデザイナー・宇野千代の文学とモードの比較研究。
もともと宇野さんはとっても考え方がギャル的で、着物や髪型もデコレイションしがちでした。ところがフランス帰りの東郷青児と恋仲になると、いきなりシックな洋装になり、化粧も油をぬるだけのすっぴん風になるのです。それとともに、まるで東郷の絵のように文章までミニマル、抽象化。例えば人物の名前を「A」としたり、文章量もショートショート並みになります。この服と作品の相互作用が戦前の宇野千代のユニークな点なのでした。
この卒論でギャルの祖先であるモダンガールや、日本におけるフェミニズムに触れました。特に印象に残っているのが、日本における女性権に言及した雑誌『青鞜』(1911年)。大学を四年半で卒業し、音楽家/記者として活動している今でも、それについて考え続けています。
それを念頭に『青鞜』とアリアナ・グランデが今年ドロップしたアルバム『thank u, next』に収録されている「NASA」とに興味深い共通点があったので、以下に示していきたいと思います。
まず『青鞜』とは何か。1911年に平塚らいてうが中心となって刊行した月刊誌です。タイトルは「Bluestocking」の和訳。これは18世紀ロンドンにおいて、青いストッキングがインテリ婦人たちのシンボルだったことに由来します。1916年まで52冊発行されたこの雑誌は、女性に選挙権すらなかった当時の日本において、女性の権利を世に問う先駆けとなりました。なお「モダンガール」という言葉が現れ始めるのは1920年前後、女性の選挙権獲得は1925年です。そう考えると、雑誌を作った方々の志の高さたるや。
この雑誌にまつわるいろいろな話はさておき、ここで取り上げたいのは平塚らいてうが筆をとった“元始、女性は実に太陽であった”で始まる発刊の辞です。あまりにも有名な言葉ですが、意外とこの続きについて語られることがありません。この文章の続きは以下です。
“元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな蒼白い顔の月である。私共は隠されてしまった我が太陽をいまや取戻さねばならぬ”
月は衛星です。自ら光を放たずに、太陽の光を必要とする。それを憂いたのが『青鞜』発刊の辞でした。
これを踏まえ「NASA」を聴いてみましょう。ドラァグクイーンのシャンゲラ・ラキファ・ワドリーによる“This is one small step for woman / One giant leap for woman-kind(この一歩は女性にとっては小さな一歩だが、女性全体にとっては大きな一歩だ)”というパロディでスタートします。音楽的にはポップで、シンセの音色がいい。「N・A・S・A」という部分もキャッチーですね。
注目したいのは歌詞です。ヴァース部分(Aメロ)では「今夜はひとりでいたい」という旨を相手(恋人?)に繰り返し述べます。プリフック(Bメロ)は、
Yeah, I'm just sayin', baby
(言ったでしょ)
I can't really miss you if I'm with you
(あなたと一緒にいる時はさみしくなんてない)
And when I miss you, it'll change the way I kiss you
(でもあなたを恋しく思っている時、キスの仕方が変わるの)
Baby, you know time apart is beneficial
(お互い別々の時間は大切でしょ)
It's like I'm the universe and you'll be N-A-S-A
(まるで、私が宇宙であなたがNASAみたいな感じ)
となります。つまりタイトルの意味は広い意味で男性のこと。ならば日本人である私はJAXAといったところでしょうか。そう考えると、ホリエモンのシャトル打ち上げ成功には先見の明があったのかも。
さて、この一節には「あなたからロケットで会いに来て」という媚びない姿勢も暗に含まれており、楽曲の「自立した女性」というテーマにもぴったり。
そしてフック(サビ)。
Give you the whole world, I'ma need space
(世界全部をあなたにあげる。私にはスペースが必要)
I'ma need space, I'ma, I'ma need
(私にはスペースが必要なの)
You know I'm a star; space, I'ma need space
(知ってるでしょ。私はスターなの)
I'ma need space, I'ma, I'ma need space (N-A-S-A)
(私にはスペースが必要なのよ)
spaceは「距離/宇宙」のダブルミーニングです。距離と解釈すればリアルな恋愛の様で、宇宙とすればもっと壮大な話にまで広がります。アフロフューチャリズムの女性的展開のような解釈までできそうな内容で深い。どこか頭の悪そうな「NASA」というワードでどこまでも飛んでいく、アリアナの想像力。さらに自分について『私は星(物理的な星/芸能的なスター)』とも表現しています。
以上がワンコーラスにおける、大枠の歌詞です。
おもしろいことに「Moon」という単語が一度も出てこない。月に到着したアポロ11号のニール・アームストロング船長による名言をアレンジして始まっているにも関わらず。ブリッジ部分では「あなたの軌道に乗せてくれれば、私を(引力で)引っ張れるでしょ」とグレーな部分はあるものの、月とは一度も言っていません。
私にとっては不思議でした。まるで平塚らいてうの「原始、女性は太陽だった。今は月」に、アリアナが「私(女性)は宇宙、または星」とアンサーしている様に聴こえるから。個人的には、たまらなくうっとりする見立てです。そして楽曲発表後におこなった『Sweetener World Tour』では月を背に歌う演出も。やはり彼女は月ではないし、月面にさえもいなかった。
太陽系唯一の恒星(自ら光を放つことができる星)は太陽。だとすれば、アリアナが歌ったのは太陽系を突破した銀河系で輝く星、もしくはすべてを包みこむ宇宙そのもの、なのかもしれません。
アリアナが『青鞜』について知っていたということは、まずないでしょう。ただ偶然にしてはできすぎてはいないか、と思ってしまうのも事実。タトゥーの件で色々とあった彼女(彼女が何ら悪いとは思っておりませんが)も「この曲のメッセージについては、日本の文脈と何ら矛盾していない!」と、私は声を大にしたい気持ちです。
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