不登校だった僕〜高校入学編
不登校だった僕シリーズ。
今日は、高校入学編です!
過去記事は下記から読んでね!
不登校だった僕もついに高校に入学。
以前も書きましたが、僕が入ったのは県立の定時制昼間部。単位制の高校です。
私服校で授業は週4は午前中4時間のみ。
火曜日だけ午後も授業がありその他の曜日も選択制で午後から授業を受ける事も出来ます。
夜間部との違いは、昼間に行くっていうだけです。
高校は、1/4くらいの生徒が浪人や他の高校を退学などした生徒。
半数の生徒が不登校経験があるような学校でした。
そんな学校なので特に違和感もなし、先輩なんかもよくしてくれて、友人もすぐにでき楽しい日々を送っていました。
1年の時は全単位取得し順調でしたが、2年になってアルバイトや音楽活動を始めた事が楽しくてあまり学校に通わなくなりました。
色々失敗したこともありましたが、この時期は学校外で学ぶ事が多く人生の礎になった事は間違いなし。後悔は全くしていません。
現役の子達が卒業式の時は少し悲しかったけど(笑)
この高校はこんな背景もありスクールカウンセラーが常駐していたり、そういった教育に長けた先生などが在籍していた。
事故に遭い下半身付随で車椅子の先生もいたりで、人の痛みをわかってくれる苦労した方が多く配属されていたと思います。
子供だったのであまり詳しい事は分かりませんが、当時の高知県の教育委員長の大崎博澄さんが不登校などの支援なども積極的に展開をしてくれていたため、こんな素敵な教育の機会を与えられていた事に感謝したいと思います。
(下記に大崎元教育長の記事をリンクします。)
そんなこんなもあり、中学よりは100倍生きているなあという実感を持って生活が出来ていた高校生活前半。
ここから問題が起こります。
『卒業できない』
そうです、学校に行って無さすぎて卒業する事ができなくなったのです。
どうしようと考えていましたが、同じ高校内に通信制があったのでそこに移る事に。
その頃は全く卒業する気もなくとりあえず籍だけは置いておこうかという気持ちでした。
実際、高校4年目(通信1年目)も全く通うこともなく、音楽活動に励む毎日。
月に10本ほどの活動をしていたと思います。
地域のイベントで歌ったり、ライブハウスや、コンテストにも出た。
今や高知の高校軽音楽部の祭典となっている『軽音祭』の第1回にも出演しました。
この頃1番記憶に残っているのが、高3の3月に起こった東日本大震災。
祖父が漁師で東北(特に石巻)によく行っていた事もあり、のチャリティー企画も何度か行った。
そんな事をしながら、不登校は続けながらも暮らしは続いていき、転機が訪れるのは高4の冬のことだった。
今回はここまで!
涼しくなってきたので、風邪など引かぬよう!
引きこもって不登校していても風邪は引くんだよな。
不思議なものだ(笑)
20201003