大学と教養の使い方
以前、「大学と教養の使い方」というテーマの講演に参加し、
大学生活の時間の使い方に関しては、すごく関心があり、常に考えてきたので、
教養をテーマに、今回の講演内容も踏まえながら、書きます。
今回のテーマにもなる「教養とは」について、(Googleより)
きょうよう
【教養】
学問・知識を(一定の文化理想のもとに)しっかり身につけることによって養われる、心の豊かさ。
今回のテーマは大きく3つ。
①現代において「教養」とは何か
②大学で「教養」を身につけることは可能か
③大学で身につけたものでどう生きていくか
①現代において「教養」とは何か?
教養とは?
社会学的には、「ハビトゥス」のひとつ
=エリートが互いを仲間として認め合うために用いられる通票
1つの共通言語のようなもののこと。
教養は、画一的な形ではなく、
以下のように時代によって変化している。
戦前:人文的な教養
戦後:科学的な教養
最近:ビジネス的な教養
そして現代では、おそらく3つのトレンドが絡まり合っている。
⑴行動を説明対象とする科学
経営学を下敷きにしたマネジメント理論や、行動経済学のモチベーション理論
⑵他者と協働するためのスキル・デザイン
ワークショップやアクティブ・ラーニング形式の授業の増加
そこで用いられるアイスブレイクやフレームワーク、アクティビティの「型」
⑶自己啓発に関する知識と実践
「行動科学」+「協働スキル」が教養の発露の場に
かつては、一人で本を読むのが、教養だったが、
現代では、「対話的教養」として注目されるようになっている。
教養とは、
決して、知っていることを打ち明かすことで、
マウンティングを取ることではない。
人と話す時に、どんなカードを切るかを考えるようなものである。
②大学で教養を身につけることは可能か?
「教養とは、大学で学ぶものか?自分で身につけるものか?」
この延長線上に、"大学とは何をする場所なのか"という問いがあります。
"消費者思考としての大学"
先ほどの問いを考える上でのヒントして、この考え方がキーとなります。
消費者思考としての大学とは、
大学の学費を払った分を4年間で回収しようとする思考のこと。
この思考をしていると、教養を身につけることには近づかない。
教養は、大学4年間では完成しない。
あくまで、
「スクールの役割は、型を身につける場所」
である。
物事を見るときの見方、組み立て方など、
知識をいかに組み合わせるか。
こういった思考の枠を身につけることが重要。
型を身につければ、学費以上の価値になる。
消費者である限り、学費分の価値しか受け取れない。
従来、教養とは、大学の外で身につけるもので、
学内で学ぶことは、教養とは呼ばなかった。
学生が、先生や大学への"対抗する道具"として教養が存在していた。
それが、大学自体が、柔軟性を持ち、
教養を学内に組みこもうとしたことで、
学生に、対抗する道具がなくなってしまった。
そこから、教養も受け取る者として求められるようになったが、
消費者としてのマインドを持ち続ける限り、教養は身につかない。
教養とは、
「現代文の一文を"自ら"掘り下げることから始まるようなものである」
You Tube の次のおすすめなどの「断片的な情報」を、
ただ享受するのではなく、
その曲の背景や時代の連なり、その物語を知り、
知識を付け合わせることでシナジーを生むことである。
そのためには、自ら情報を取りに行く必要がある。
③大学で身につけたものでどう生きていくか
教養を身についている状態とは、
「論理を類推することができる状態のことである」
様々な現象や事象が起こる背景について、
想像することができる。
教養を身につけることで、
「相手の持つ物語に、別の物語をぶつけることができる」
いわば、「ルールを組み替える技術」を手に入れられる。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスが、
人を動かす(説得する)ために唱えた、必要な3つの要素
「パトス(感情)」「ロゴス(論理)」「エトス(人徳)」でいえば、
「エトス」の部分。
最終的に、教養は、人との関わりの中で用いる。
学問や知識を知っているだけでは意味がない。
それを繋げ合わせ、今後に生かす技術こそが教養である。
あえて、教養の定義については、
様々な言葉で話すことが多かったが、
それも教養=〇〇と一つに定義できるものではなく、
様々な事象の繋がりの中で理解していくものだと思い、
あえて今回はそういった書き方をした。
大学生活の時間の使い方に、
これといった正解があるわけではないが、
ぜひ参考に考えていただきたい。
個人的には、
3月末ごろに、「大学生活の時間の使い方で人生が決まる」というテーマでイベントを開くので、そこにきていただければ、もっと多くのヒントを直接伝えられると思っています。