[1−30]最強のぼっち王女がグイグイ来る! オレは王城追放されたのに、なんで?
第30話 そろそろ雨が降りそうだな……
どうしてこんなことになってしまったのか──ラーフルは、旅館に向かう馬車の中で考えていた。
事の始まりは、王女殿下と貴族達の対立だった。
なぜ対立が起きてしまったのかと言えば、これまで当たり前として誰も疑わなかった血統による統治を、だからこそこの貴族社会が成り立っていた不文律を、殿下はあっさりと変えてしまわれたから。
曰く「適性と努力に応じて、その職務を変更する」──と。
あまつさえ「能力があれば平民であっても、それ相応の役職に召し上げる」とまで宣ってしまったのだ。
これは貴族達にとっては天変地異に等しい宣言だった。なぜなら貴族社会を根底から揺るがしかねない話なのだから。
この国は──いやこの世界は、王族・貴族・平民・奴隷という絶対的な身分があるから成り立っている。これに誰もが疑問を持つことなく、普遍的な価値として受け入れられてきたからこそ、王族は王族であることができて、貴族は貴族であることを求められ、国家は安寧を享受できたのだ。
だというのに、この根底を覆しかねないことを、王族である殿下が宣ってしまったら……
わたしとて地方貴族の出身だから、貴族達が猛反発する気持ちも分かる。
とくに中央貴族の反発は凄まじいものがあった。
だが……
かつて、敵対していた隣国をたった一人で無血開城させる……などという戦歴まで持っている殿下には、誰一人として反対意見を上申することなど出来なかった。
殿下の機嫌を損ねたら、お家取り潰しどころか、彼女の魔法で一族郎党すべて消し炭にされる……とまで囁かれていたのだから。
もちろん、身近で仕えていたわたしからしたら、殿下がそんな理不尽なことをする女性ではないのは百も承知だ。反対意見を申し上げたとしても、それに正当性があるならば、ちゃんと聞く耳を持ってくれるのが殿下なのだから。
とはいえ……開明的な殿下からすれば、伝統的な貴族たちの意見に正当性があるはずもなく……
またわたしも、殿下のやることに反対する理由もなかったので、中央貴族との橋渡しもしなかった。何しろわたし自身が、身分を超える昇進を果たし、殿下の側仕えになったわけだし。
そんなわけで貴族からしたら、殿下のやること成すことすべてが理不尽極まりなく見え、その積年の憤懣が積もりに積もってしまう。
そしてその捌け口にされてしまったのが……アジノス陛下だった、なぜか。
この国の長が、その部下の捌け口にされる……なんとも意味不明な構図だが、事実そうだったのだ。
アジノス陛下は……なんというか……よく言えば貴族から愛されるお人柄だ。
何事にも寛大で、貴族が多少失敗したとしても気にせず笑って許すような、そんな余裕を持っていた。
だからあくまでもよく言えば、貴族ウケはすこぶるよかったのだ。
それはそうだろう……失敗しても怒られないし、相談すれば税金は安くしてくれるし、請願すれば国軍派遣までもしてくれるのだから。
しかし悪く言えば……舐められていた国王でもあった。
そんなお人柄だったので、殿下に対する憤懣は、日に日に陛下に届くようになり……
やがて、これ以上はもう抑えきれないというほどに、あからさまな憤懣になったときに……
アジノス陛下は決断されてしまったのだ。
ちょっとだけ、我が子は王宮から出て行ってもらおうと。
一年くらい不在であれば貴族の憤懣も収まるだろうし、娘は娘でゆるりと旅行でもさせれば少しは丸くなるだろう……とでも考えたのだろう。
まったくもってなんの解決策にもなっていない、しかもただの先延ばしに過ぎない無策だったが、陛下はきっと名案だと思ってしまったのだろうな。
だから我々に相談することもなく、その日、陛下は殿下に言ってしまったのだ。
「お前、ちょっと外の世界を見てきなさい」と。
そしてその一言が、殿下の逆鱗に触れたのだった……
「はぁ……」
わたしは馬車の中で盛大にため息をつく。思い返しただけで偏頭痛がしてきた。
無論、殿下が激怒したのには理由がある。
殿下は知っていたのだ。貴族の憤懣を。
そして思っていた。父親がそれを抑えてくれていると。
貴族の憤懣がどんどん膨れていくにつれ、殿下はよくおっしゃっていた。
「お父様も、役に立つことがあるのですね」と。
……なんだかとっても偉そうな物言いだが、あの殿下から賛辞を得られるだなんて、一生のうちで一度か二度あるかないかなのだ。
しかも陛下はむの……いえ温和なお人柄だから、そういうことをあまり評価しない殿下が、賛辞を口にしたということは最大級の賛辞だったのだ。陛下本人には届いていなかったが……
つまり、王女としても娘としても、陛下のことを信頼していたのだ。
だというのに、いよいよ貴族の憤懣が抑えきれなくなったと見るや否や……
まるで殿下を切り捨てるかのような発言、だ。
しかも信頼を寄せていた父君から。
それは激高するのも無理からぬことかもしれない。
いやまぁ……わたし自身と父上の関係に照らし合わせて考えてみるならば……お互い、もうちょっと話し合おうよ、そうすれば簡単に解決できるでしょう? とは思うが、きっと、王族ならではの距離感というものがあるのだろう……ハァ……
そうして殿下は「わたしはもはや王宮を追放された身」と思い込んで去ってしまう。
いや殿下は……一から十まで状況を分かっているはずだが、思い込みの激しい人でもあるから、王宮追放と思い込むうちに、本当に追放されたと信じ込むに至ってしまったのだろう……
あるいは、追放されたのはわたしたち王侯貴族なのかもしれない。
『天才の庇護』という絶対的安全地帯からの追放……といったところだろうか。
そもそも、殿下がこの国を一流国に押し上げたことにより、貴族達は対外的に鼻高々だったはずだ。それに殿下は、適性によって貴族の国内地位を多少揺さぶりはしたが、お家取り潰しや地位剥奪などは決してしなかった。だというのに貴族達は、肥大化するばかりのプライドをちょっと傷つけられただけで右往左往していたのだ。一流国への仲間入りという殿下への恩も忘れて。
これでは、殿下に見切りを付けられても仕方がない。
そして、わたしがその事実を知らされたのは、殿下が追放されてから数時間後のことだった。
驚いたわたしは、親衛隊を総動員して殿下追跡を試みる。しかし殿下は、飛行魔法も転移魔法も身一つで使えてしまうほどの魔法士だから、わずか数時間とはいえ、その追跡は絶望的だと思っていた。
……が、殿下はまだ王都にいた。
しかもなぜか、下町の薄汚れた酒場に入店していた。
さらになぜか、一人の男を伴っている。
その第一報を聞いたとき、わたしは思考停止してしまった。
まったく意味が分からなかったのだ。
なので自らの目で確かめに出向いたが、殿下は酒を呑んで意識を失ったところだった。
意識を失っても、殿下は守護の指輪を装備しているから、その身に危険はない。だからわたしたちは、状況を見定めるためにも、しばらく殿下と男を泳がせることにしたのだが……
なんだか殿下、ずいぶんと楽しそうな……
あんな殿下の顔、見たことないんだが……
殿下に面の割れていない諜報部員にも協力してもらい、二人の会話を拾ってみたのだが、普段の殿下からしたら信じられないほどに、とてつもなくバカバカしい話に終始している。
……そんな馬鹿な?
わたしは、殿下にそんな雑談をさせる男のほうが気になって、素性を調べにいったん王城へと戻る。すると諜報部のほうですでに調査済みで、相手の男は、この王城にいた衛士だという。しかも平民だ。
ふむ……なるほど……
殿下は平民を召し上げるくらいだから、もしかすると平民に興味があるのかもしれない。
だから平民男に話を合わせ、雑談を楽しんでいるふうを装っているのだろう──だとしたら納得できる。
とはいえ……男女がふたりっきりで長い時間を過ごすというのは、王女という身分から考えても、あまり褒められたものではない。
しかもその晩は、王族御用達の旅館で、さらに同じ部屋で寝泊まりするという報告が入ってきた。
いやそれは……さすがにまずい。
昨日の安宿は、セキュリティという概念のない建物だったから我々も見張れたし、そもそも殿下が気絶したのではやむなしというていでギリオッケーだったが……自らの手で男を部屋に招き入れるなど、王女がやっていいことではない。
殿下が本気で平民男を気に入ってしまった、という線も捨てきれないし、この辺で二人には別れてもらわねば。
なのでわたしは旅館に出向き一計を案じる。
平民男が風呂に入っている隙に連れ出そうとしたのだが、警報魔法に引っかかってしまい肝を冷やし──が、あの男の奇行のせいで助かった。
それにしてもあの男……なんてモノをわたしに見せてくれたのか……!
くっ……この辺を思い出すと未だ羞恥で顔が熱くなるのでやめよう……!
っていうか、羞恥するのはあの男のほうだというのに……!!
と、とにかく、室内への侵入が叶ったわたしは、あとはひたすらに息を潜めて、男を攫うタイミングを待った。
そのタイミングは、全員が寝静まった夜に訪れる。
わたしは警報魔法を解除すると(殿下は寝ていたので解除は容易だった)、仲間二人に声を掛けた。彼女たちは音もなく室内に侵入する。
二人には男の確保を指示して、わたしは分断工作を行うべく、リビングのローテーブルに、あらかじめ持ってきた手紙を広げ、文をしたため始めた。
半日ほど観察して覚えた男の口調と、諜報部から上がってきた情報を元に、別れの手紙を書いていく。
これで男が急にいなくなったとしても、殿下は不審に思うことはないだろう。
もし殿下が男のことを本気で気に入っていたのなら……少し気が重いが、しかし、そうだとしたらなおさら分断工作は必要だ。
何しろ、王族と平民の恋仲など認めるわけにはいかないのだから。
能力に応じて平民を召し上げるのと、王族に平民を迎え入れるのとでは、天と地ほどの違いがある。いくら殿下が開明的だったとしても、こればかりは許されることではない。
平民でも王族に入れるなどと知られたら、瞬く間にこの国の秩序は崩壊してしまうのだから。
そう考えてわたしは、平民男の口調をしっかり真似て手紙を書き上げる。
そしてそれをテーブルに置いて、確保した平民男を担いで旅館を後にした。
平民男が守護の指輪を装備しているなどとは、まさか夢にも思わずに……
その後の段取りとしては、少なくとも一週間くらいは様子を見ようと考えていた。
そもそも殿下が王侯貴族を頼りにするとは思えなかったし、となると殿下は一人きりだから、そのうちつまらなくなって帰ってくるだろうとわたしは読んでいた。
あの男がイレギュラーではあったが、たった一通で分断工作が上手くいく程度の間柄だし、だから最終的には、何もしなくても、済し崩し的に収まるべきところに収まるはずだったのだが……
しかし今にして思えば、この構想は甘かったと言わざるを得ない。
守護の指輪に気づかなかったこともそうだが、何よりも……もし平民男の供述が本当であるならば……
わたしは、同じ室内にいながら、殿下の貞操を守れなかったことになるのだから……!
「くっ……行為に及んだのは……あのときか……」
わたしが露天風呂から室内に侵入して、男を攫うタイミングを見計らうため、物陰に隠れていたあのとき。
殿下と男が寝付くまでの間に、そういう行為が行われたと見て間違いないだろう。その手の物音や声……が聞こえなかったのはわたしにとって幸いだったのか災いだったのか……その手の音が聞こえていたら、飛び出して止めに入ることもまだ可能だったがしかし、殿下がそのような行為にいたろうとしているところに飛び込むなんてしたくもないし……うう……まさか殿下が気を許すだなんて……
い、いずれにしても!
この事実は、出来れば伏せておきたい話ではあるが……すでにあの男が供述しているのであれば隠しきれるものでもないだろう。
「であるならば……」
仄暗い声で独白すると旅館に到着した。わたしは馬車を降りる。
そうして、ティアリース殿下がいらっしゃる最上階を見上げ、わたしは何度目かのため息をついたのだった。
そんなわたしの気持ちを表すかのように、空には雨雲が広がっている。
そろそろ雨が降りそうだな……