近隣にシャワーを撒き散らしちゃいないか
温泉に行った際、気になることってないだろうか。
気になるポイントは人それぞれ異なると思うのだけど、絶妙に琴線に触れるなにかがあったりしないだろうか。
僕にとっては「シャワー飛んでくる問題」がそれだ。
最近はちょっと温泉も行けていないものの、なぜか今日ふと思い出した。隣で、あるいは通路を挟んで反対側で身体を洗っている人のシャワーが飛んでくるアレ。
いや、もうちょいシャワーヘッドを下向けてくれ!というアレ。
わざわざ注意するほどの話でもなく、長時間続くわけでもなく。でも絶妙に「んんん…!」と思わせてくる。端的にいうと不快だ。
最低限のマナーすら守れないなら温泉なんて来るんじゃ、、、みたいな話に発展してもおかしくない事象だと個人的には思っている。
ただ、何を隠そう、僕自身も隣にいる父親にやってしまっていた過去がある。
子どもの頃、なにを意識するでもなく、当然「迷惑をかけている」なんて自覚もなく父親から注意されたことがあった。
温泉からあがってゲーセンコーナーで遊びながらも、子供心は「気を付けなさい」を受け入れ難かった。本当にシンプルに、悪いことをした自覚がなかったから。
今も近隣にシャワーを飛ばしている人は、ひょっとしたら自分がやらかしていることに気付いていないのかもしれない。
これはきっと、温泉以外でも似たような事象がたくさんある。
SNSで突然に「は?なんで?」「ありえないんだけど」みたいなリプを飛ばす人がいたり。あるいは会話するたびに「えー、それはない」と否定気味のリアクションがデフォの人がいたり。
たぶん彼らにはやらかしている自覚なんてなくて、問題としてとらえているわけでもない気がする。
無意識ゆえにタチが悪いとも言えるが、だからこそ「誰しも同じようなことをやらかしている可能性はある」くらいに自分を省みる瞬間があってもいいんだろうなと。
意図に反して誰かを傷つけたり、ひとのチャンスを奪ってしまっていることもあるのかもしれない。逆に無意識のうちに人を勇気づけていられたら素敵なことだが、たまに客観的に自分の言動を振り返ることも必要なんじゃないだろうか。
自分のシャワー=言葉は、どこに飛んでいるのか?
特に個人の発信力が強い今の時代、たまにそんなことを考えるときがあると、もうちょい社会が優しく快適になるような気がするな。
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