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Photo by
morikoharu
長くないと多くないと 「許せない自分」
興味ある人一緒にしませんか?もう既に材料はあるんだけど、料理をしてない、研究&言語化たちがいっぱいあるので、明日から毎日ブログに書いていくチャレンジしまーす!習慣化しよう!とか毎日やろう!と思ってることがある人、一人でやるより一緒にしよ〜連絡くださーい!
習慣化することで見える世界もあるなあと思い立ち、始めている習慣化チャレンジ。昨日で、5日目。
昨日は、日記スタイルで書いた。すると、自分の色んな声が聞こえてきた。
「ラクしやがって」「今日は全然書いてない」
「自分の中にある研究を言語化するために始めたんじゃないのか」
「妥協したんだこいつ」「こんなの続けているうちに入らない」
この量や大きさに対するぼくの強いコンプレックス。多くないといけない、大きくないと、目立っていないと、やったうちに入らない。
質が違うのは知っている。想い(エネルギー)を込めて、少ない文字数で語るのもいいのは知っている。でも、こわさから選ぶ方は前者の方になりがちだ。
そういえば、僕が書く文章って、文字数が極端に多いことが多かったっけな・・・。
何かに対して恐がっている自分。世の中に対して、周りの目に対して。
ずっと形あるもの、成果を出すこと、お金主義の世界にいた時代が長かったせいか、ここへの盲目的な、反応するおそれがある。もちろん、数、大きさ、影響力も悪くない。ただそれに反応して、そこに支配されている感覚がある。ああ、不自由だなあ。
その奥には僕の何があるんだろうか。少し考えてみた。奥の声が聞こえるまで、そんなに時間はかからなかった。
見てほしいんだ。僕の存在を。色んな自分を見てほしい。不平等さを感じてきた人生。だから僕はたくさん叫ぶことで、きづいてほしいの。でも知ってる。大きくなくても頑張らなくても僕の存在やありのままさを受け入れてくれる人や世界、平等な世界があることを。でもいつかまた何かの拍子で覆っちゃうんじゃないかって。2年半前まで一緒にいた今も”俗世の中で生きている”仲間たちへ特にわかって欲しいのかもしれない。こっちの世界へおいでよって。こっちの世界もあるんだよって。だから彼らに向けて叫んでるかもしれない。彼らは大きいメッセージの方が入るから。今は離れてしまったけど、また一緒に笑い合いたいから。繋がっていたいから。
そっか。こんな想いがあったのね。だから反応してたんだね。
ちょっとの間、この子とギュッとしてくるね。
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