私が行方不明者を演じた理由

フェイクドキュメンタリーに興味を持ったのはいつ頃だろうか。遡ると、「ブレアウィッチプロジェクト」が大ヒットした年、私は映画制作に強い憧れを持っていた。ビデオカメラ一台で映画ができる。そこに「本当のような話」が加わると、あれだけ話題になる。手法自体は古くからあるようだけど(むしろ使い古されているくらい)、映画少年から映画青年に変わろうとしている当時の自分にはセンセーショナルなことだった。

スマートフォンを手に散歩していると、見慣れた光景が案外使いやすいことを知る。地名を書かなければ、日本か外国かどこかわからない平地。低く垂れた鉛色の雲。その他、カラスやキジ、農村には不可欠な広い用水。レンズを通して眺めてみると、何もなさそうな田舎が意外なほど映画に適していたのだった。

私は初めて自分の顔にカメラを向けて映画を撮った。借金で首が回らなくなった設定で、地元を飛ばされる運命にある。台詞は即興で作り、一発撮り。これにフリー音源を加え、完成した作品を「マイクロシネマコンテスト」に送った。多くの人がしないことをあえてやってみたのである。
結果を見て、大きく落胆した。入選作に当たり前のように制服の女子高生が選ばれていたからだ。ベタの上塗りを通り越して呆れてしまった。「ショートフィルムは青春が適している」と考える業界人は予想以上に多い。私は抗議のメールを送った。丁重な答えが返ってきた。このコンテストに送ることは二度とないし、とにかく創意工夫が伝わらなかったのは残念であった。
その後、再編集を行った。今度は「フェイクドキュメンタリー映画祭」へ送った。が、またしても選ばれなかった。しかし、丁寧な感想をもらい、「若いのになかなかわかっているな」と思った。最初の5分から12分に拡大したバージョンは、長く「完全版」として放置することになる。「山国映画祭」にも送ってみたが、大分県に呼ばれることはなかった。
短編映画「マイ、ホームタウン」はこうして充電期間に入った。

今年、新たに編集し直し「映画惑星」に出品した。
このイベントは、自主製作を続ける山岸信行氏がYouTubeで主催。映画祭からこぼれ落ちた作品はもちろん、選出は自由度が高い。カルトには括り切れない、触れると悪夢になりそうな作品も混じっている。
12月8日の午後。しとしと冷たい雨の日、ひっそりと「映画惑星」は始まった。14時32分ごろ、ついにそれは流れた。

「今日が返済日です」

ある男がカメラにこう語る。男の背景には農業用水が止めどなく流れている。すぐにフェイクだとわかるだろう。元々、演技には定評があったので(どの口が言う)このように演じることも決して難しいことではなかった。動画制作者が友人Nを探し求めているという設定で作った。Nは自分の町の様子を撮り、郵送でわざわざ送った。制作者はテープの中を公開し、消えたNを探してほしいと訴える。

なぜ行方不明者を演じたか、そろそろ書こう。Nという男を探している、つまりクリエイター「上野修嗣」を探してほしい。
……画面に映る彼こそ、この記事を書いている私だ。作品を見た人が、「なんだ、小説も脚本も書いてるんだ」と知ってほしかった。その他のショートフィルムも知ってほしかった。自分自身のプレゼンテーションのための映画だった。
せっかくショートフィルムを撮ったのに、次につながらないのは疑問だ。私には映像化したいシナリオが数点ある。それらをちゃんと売るために、わざわざ自ら演じたのだった。

もうすぐ、山岸氏の編集によって無料公開する。ちなみに、短編「マイ、ホームタウン」に制服のJKは出てこない。