僕は最高のハズバンド 第三話
〇シェアハウス・作業場(夜)
ミシン台で居眠りする千亜紀。
壁に走り書きした服のデッサンが数枚。
翔太、缶ビールをミシンの横に置く。目を覚ます千亜紀。
翔太「沙紀さん、帰ったよ」
翔太、ミシンから布を奪い取る。
翔太「これもボツ。駄目」
千亜紀、沈黙。
翔太「ドレスの生地って、シルクだけじゃないよね。何でも試した方がいい
と思うよ」
千亜紀「……翔太」
翔太「あと何枚でも、何枚でも付き合うつもり。俺、お前のミシンの音、好
きなんだ」
千亜紀、微笑む。
〇市街・公道(夜)
車を飛ばす真一。
窓外にネオンの灯が流れ去る。
沙紀の声「嘘のまま過ごすよりいいでしょ。女神なんかどこにいるの」
真一、アクセルを踏み込む。
街に消える車。
〇劇場・舞台(夜)
ギギギ……と棺桶が開く。
体を起こし、欠伸をするドラキュラ伯爵(拓馬)。
沙紀M「おはよう、父さん。あの日のことから話してよね。私、やっぱりあ
なたの子供でいるみたいだから」
拓馬、不敵に笑う。
〇テレビ局・番組スタジオ(夜)
トークライブ『グッド・イヴニング』収録中。やや薄暗い
照明。
テーマ曲を演奏する生バンド。
司会者の真一、左のゲスト席にドラキュラ役の拓馬。
緊張を隠せない真一。
拓馬の目がキラリと赤く光る。
途端に目を閉じる真一。
〇黒画面 T「浅村真一の場合」
〇テレビ局・番組スタジオ(夜)
拓馬に話し始める真一。
真一「ドラキュラ役のご苦労などございますか? 例えば、焼肉や餃子が食
べられなくなるとか」
拓馬「それはあるね。ニンニクは千秋楽まで食べないようにしている。ミン
トのガムで我慢だよ」
真一「やはり役に入り込んでいる」
拓馬「実際は台本通りやっているだけだよ。普段からこのマントを着ている
わけじゃない。俳優とは誰かを演じる人なんだ。ドラキュラは何度演じて
もいいね。慣れたことはないけど」
真一「ルーマニアも暑いと聞いていますが」
拓馬「ここも昼間みたいだよね。まるで太陽がもう一つある」
真一「申し訳ないです。これでも随分落としているんですけど。やはり目覚
めたばかりでそう感じていらっしゃる」
拓馬、沈黙。
真一「(カメラに)いつもより雰囲気が違うと思われた方、大丈夫です。今
夜は少しばかり照明を落としています。(拓馬に)私も夜中、トイレに起
きた時は眩しくて」
拓馬、席を立つ。
拓馬「少しばかり時間を」
真一「……どうぞ」
拓馬、観客席近くまで歩く。
拓馬「今宵は、私のために足を運んで頂きありがとう。伯爵から礼を言いま
す。先程彼が言ったように、目覚めたばかりでせっかくの笑顔も霞んで見
える。だが美しい」
拓馬、真一に寄る。
拓馬「君にあげよう」
拓馬、マントを脱ぎ、真一の肩に掛ける。
席を立つ真一、くるっと体を一周捻る。
黒々と舞う、大きなマント。
真一「誰の生き血を吸いに行けばいいのでしょう?」
拓馬「素晴らしい。ぜひ舞台で」
真一「何を仰るんですか。大根役者を晒すことになるだけです。(観客に)
皆さん、お分かり頂けました? 私、明日にも伯爵デビューです。冗談」
拓馬「一つ、いいかな」
真一、額の汗を拭く。
拓馬「本気でドラキュラを演じる気はあるかい?」
真一「……相手が美女なら」
拓馬、苦笑い。
真一、右手を差し出し、
真一「長岡拓馬さんでした!」
拓馬、深く一礼。
拍手する観客席。
真一「今晩は玄関に十字架のご用意を! また来週。(長岡に)ありがとう
ございました」
拓馬、親指を立てる。グッド。
ぞろぞろと席を立つ観客。
拓馬、ADの案内で退場。慌ただしい技術スタッフたち。
拓馬、足を止めて正面(読者)に話す。
拓馬「こんばんは、皆さん。ご覧の通り、たった今、私は収録を終えたばか
りだ。彼が娘の結婚相手だと君も知っているだろう? ちょっと緊張して
いたようだが、楽しかった。では二人に何が降り掛かったのか確認したま
え。ひょっとしてとんでもないことかもしれないね」
〇暗闇
真一の声「領収書ください」
〇真一のマンション前(夜)
走り去るタクシー。
旅行鞄を持った真一が高い建物に入る。
真一の後を歩く沙紀。
振り返る真一、手招きする。
沙紀、首を振る。
〇真一のマンション・共有通路(夜)
廊下に二人の影が伸びる。
ヤンキースの帽子を被った真一、遅れて沙紀が歩く。
真一「飛行機でも言ったけどさ」
沙紀「今話すことなの?」
真一「そうやって何度も避けてると……」
沙紀「まさか成田離婚なんて時代遅れの言葉、使わないよね?」
真一「俺だって昭和を知らない男じゃないし」
沙紀「約束」
真一「……ドアを開けてから」
真一、足を止める。
真一M「部屋に入る時は笑顔で。それが僕たちの約束だった」
〇真一のマンション(夜)
玄関ドアが開き、笑顔で真一と沙紀が入る。
真一、ヤンキースの帽子を沙紀に被せる。
真一M「そう、これがプロポーズの代償。あいにくジョー・ディマジオの偉
大な記録を彼女は知らない」
沙紀、不機嫌そうに帽子を取り、寝室に消える。
真一「明日のことだけど」
寝室から顔を出す沙紀。イラっ。
真一「もうすぐ稽古始まるからさ。飛行機の中で心配だったんだよ。ついう
るさくなった」
沙紀、キッチンへ。蛇口の水で手を洗う。
真一「枕、一つでいい。今晩だけ」
沙紀「……私も」
沙紀、再び寝室へ。
(数日後)
枕を抱え、リビングに駆け寄る沙紀。
ソファから飛び起きる真一。
真一M「これが長い夜の始まり。鍵なんか渡さなきゃよかった」
シンクに沈む鍵。まるで難破船のような雰囲気。
〇同・寝室(夜)
写真の中で微笑む沙紀と真一。堂々とそびえる自由の女神。
真一M「女神なんてどこにいるんだろう」
真一、壁から写真を外す。
真一M「きっと知らないうちに追い出してしまったのかも」
真一、ベッドに腰掛ける。一つだけの枕。
大きな溜息を吐く。
〇シェアハウス・作業場(夜)
ミシンで生地を縫う千亜紀。
離れた机の上で光る携帯電話。
千亜紀、黙々と作業を続ける。
〇真一のマンション・寝室(夜)
真一、携帯電話を放す。
千亜紀の声「真一さん?」
真一、電話を取り、
真一「ごめん、忙しかったみたいだね」
千亜紀の声「このミシン、周りの音消しちゃうんです」
真一「……さっきまで喧嘩してたんだけど」
千亜紀の声「はい」
真一「枕が違う場所にあるんだ。旅行前は並んでたけどね」
千亜紀の声「……なるほど」
真一「こういう時ってさ、一人で朝を迎えなきゃいけないのかな」
千亜紀の声「独身の私の意見、参考になりますか。姉の方はもうすぐ名前変
わっちゃうじゃないですか」
真一「長岡さんのままかもね。今日の様子見てると」
千亜紀の声「電話って珍しくないですか。どうしちゃったんですか。義妹っ
て、役に立ちます?」
真一「千亜紀ちゃん、僕にはさ……」
千亜紀の声「勘違いしないでください。心配するほど余裕ないですって」
真一「愚痴、聞いてくれるよね。義理の兄さんの声、聞いてくれるよね」
千亜紀の声「ニューヨーク旅行の写真、ちゃんと飾ってますか? LINE
でも見ましたけど」
真一、床に伏せた写真を一瞥。
真一「さっき外しちゃった。ささやかな反抗」
千亜紀の声「そういうところですってば」
真一「たぶん、明日には元通り飾ってると思うよ。手料理みたいに減る物じ
ゃないし」
千亜紀の声「……パパの舞台ですよね、明日」
真一「あ」
真一、ベッドから腰を上げる。
〇シェアハウス・キッチン(夜)
冷蔵庫に貼ったメモ。
「明日、姉が来る」
棚から皿を並べる翔太。
携帯電話で話す千亜紀。
千亜紀「舞台の後、うち来るみたいです。もう準備してます」
翔太、器をテーブルに並べる。
千亜紀「実家みたいに甘えたいらしいです。彼女のことは任せてください」
千亜紀、冷蔵庫のメモを剥がす。
〇真一のマンション・リビング(夜)
携帯電話で話す真一。
真一「……ありがと。邪魔したね」
真一、携帯電話を切る。
ソファで眠る沙紀。
真一、毛布を沙紀の体に被せる。やれやれ。
真一「大丈夫、大丈夫」
真一、ソファの横から女性誌を一冊取る。
真一「覚えてる。このページに目が留まったんだ」
真一、ぱらぱらと捲り、沙紀が写るページを開く。
真一「憧れのスターの名前見てハッとしたんだ。きっと男に対しての振る舞
いに惹かれるのかな」
真一、振り返る。
壁に貼った一枚のポスター。
マリリン・モンロー主演『紳士は金髪がお好き』
真一「あの映画さ、東京のどこかで掛かってたよね。同じ映画を見たんだ。
同じ休日を過ごした。それから、恋人になった……なってくれた。きっと
奢りがあったんだ、僕の方に」
真一、ポケットから鍵を出す。
真一「さっき戻したんだよ。錆びつくには早いから」
真一、鍵を沙紀の枕元に置く。
真一「夢を見たっていいさ。どうせ目が覚めてから、君と会える」
真一、部屋の照明を消す。
暗闇。映画上映前と同じ静寂。
〇テレビ局・番組スタジオ(夜)
ピンクのドレスを着た沙紀。マリリン・モンローのように大勢の紳士
に囲まれ、歌い始める。
歌『ダイヤモンドは女の親友』
(つづく)