僕は最高のハズバンド 第一話
【あらすじ】
浅村真一はテレビの人気司会者。自身がホストを務める番組で婚約中の女優、長岡沙紀に生放送でプロポーズする。二人は渋谷の映画館でマリリン・モンローの映画を見ていた。
ある夜、些細なことで喧嘩してしまい、沙紀は自分の枕を寝室から持ち出す。翌日、沙紀は実父で俳優の長岡拓馬と共演する舞台上で、婚約指輪を外す。帰りに妹、千亜紀の家を訪れ、千亜紀の彼氏、翔太とは束の間の会話を交わす。
ソファで一人寝る沙紀に、真一は声をかける。番組ゲスト出演当日、憧れの女優マリリン・モンローに扮した沙紀は大勢の紳士たちの求愛を交わし、笑顔で歌い終えた。
〇黒画面
沙紀M「ねえ、父さん。夫の帰りを待つ女って、いると思う?」
〇映画館・観客席
パッと照明が広がる館内。
並んで座る長岡沙紀(37)と浅村真一(44)。
ぞろぞろ席を立つ他の観客たち。
沙紀M「私の答えはNO。世界中探したって、そんな人いないと
思う。見て。どっちも誰かを待ってるみたいでしょ?」
無言を貫く沙紀と真一。
沙紀M「でも、本当は混雑を避けたかっただけ。別にお互いの帰りを待って
たわけじゃないの」
〇映画館入口
館内から出る沙紀と真一。
壁に名作映画のポスターが数枚並ぶ。
真一「やっぱり生放送っていろいろあるし」
沙紀「別にまずくないでしょ。駄目なの?」
真一「それはディレクターが決める。映画だって同じ。例えばブロンドの髪
でも、スクリーンの中じゃ白黒なんだよ。さっき僕らが見た映画みたい
に」
沙紀、真一の前に立ち塞がる。
沙紀「父さんのため」
真一「駄目だ」
沙紀「あなたの番組で知らせたっていいじゃない」
真一「司会者は公平じゃなきゃいけない。君だけ特別は良くない。それに番
組の私物化って言われかねないよ」
沙紀「……さよなら」
沙紀、真一から離れる。
真一「来週のゲスト、決まってる」
歩く沙紀の背中。
真一「ドラキュラの娘が来る」
沙紀、立ち止まる。
真一「受け取ってほしいんだ……それだけ」
〇沙紀のマンション・キッチン(夜)
台本を片手に立つ沙紀。チケットの半券を冷蔵庫に留める。
横に一枚ずつ並ぶ数枚の半券、または映画館デートの記録。
沙紀「……私たちの未来を知らせたっていいじゃない。ね、父さん」
沙紀、台本をパラパラと捲る。
手を止める沙紀。
台本に挟んだ写真が一枚。沙紀とその父、長岡拓馬(74)のツーシ
ョット。照れくさそうに笑う親子。
〇テレビ局・番組スタジオ(夜)
明るい照明の下、生バンドが演奏を始める。
扉が開き、観客前まで歩く真一。
観客席から笑顔の拍手。
真一「ご機嫌いかがですか。今日は私、いつになく緊張しています。別に義
理のお父さんを迎えるわけではないのですが」
真一、胸ポケットに手を入れて、
真一「こんなこと、二度と起こるはずないと思うんです。皆さん、どうぞ勝
手な司会者を許してください。今夜だけは」
固唾を呑む観覧席。誰一人笑顔なし。
真一「お呼びしましょう。長岡沙紀さんです」
拍手に包まれ、扉から登場する沙紀。
真一「お忙しい中」
沙紀「とんでもないです」
沙紀、椅子に着く。右に座る真一。
沙紀「生放送、慣れてないんです……」
真一「舞台とは違う?」
沙紀「ええ。台詞がないじゃないですか。何も与えられてないわけですし」
真一「前に大女優さんがいらして。あなた、気前いいけどそれだけねと言わ
れまして」
沙紀「……家で見た記憶が」
真一「結構前になりますけどね。今日の沙紀さんと似た心境でした。うまく
返せなかった悔しさと言ったら……司会者が落ち込むなんて禁物ですけ
ど」
真一、胸ポケットに手を入れる。
沙紀、沈黙。
真一「長岡沙紀さん、ぜひお見せしたいものがあるんです」
真一、胸ポケットから鍵を出す。
真一「手を広げて」
沙紀、手のひらを差し出す。
真一、席を離れ、沙紀の前で膝を付く。
拍手する観客席。
驚く沙紀、両手で顔を覆う。
真一、片手で鍵を折る。パキッ。
沙紀の手にこぼれ落ちるダイヤモンド。永遠に輝くような光を放つ。
沙紀M「……永遠だと思ってた」
〇タイトル 「僕は最高のハズバンド」
〇真一のマンション(夜)
寝室に枕が二個、ダブルベッドに並ぶ。
壁に貼った二枚の航空券(NY行き)。
沙紀M「ラブソングじゃないことくらい、わかってたけど」
真一の手が伸び、航空券を剥がす。
(旅行帰り)玄関のドアが開き、ニューヨーク・ヤンキースの帽子を
被った真一が入る。続く笑顔の沙紀。
沙紀M「ああ、神様。プロポーズ前に時間を戻して……!」
真一、帽子を沙紀に被せる。やれやれ。
キッチンに整列する数枚の皿、水滴一つないシンク。
〇市街・公道(朝)
車を飛ばす沙紀。左手に光るダイヤの指輪。
沙紀、アクセルを踏み込む。
朝日を浴びて走り去る車。
〇黒画面 T「長岡佐紀の場合」
〇劇場・楽屋
開いたままの扉。
奥にある姿見の前、黒いマントを翻すドラキュラ役の拓馬。傍で微笑
む付き人の磯部(68)。
磯部「伯爵様、早起きは苦手とお聞きました」
拓馬「黙れ。大事な公演を前に欠伸などできまい」
磯部「太陽が苦手と仰ってましたよね」
拓馬「そうだ。月に溺れるほど若くもないが」
磯部、目を丸くする。
拓馬「君たちも知ってるだろう? そろそろ小さな天使も見たくなってきた
が」
磯部「沙紀さんのためならいつでも仰せつかせを」
拓馬「頼もしい」
磯部「こちらを」
磯部、携帯電話の画面を見せる。
司会者、浅村真一の笑みが映る。
拓馬「いい顔してるね。夜に生放送の彼だろう?」
磯部「質問があります」
拓馬「手短に」
磯部「番組、ご出演考えていますか」
拓馬「私は構わん。十字架さえなければ、明るいスタジオに足を運ぼう」
沙紀の声「父さん」
拓馬、声に気付く。
台本を手に、歩み寄る沙紀。
沙紀「磯部さん」
磯部「随分早いね。ちょいと芝居してたところなんだ」
拓馬「……本番前に話すことはないよ。帰りなさい」
沙紀「私……」
拓馬「娘と会うドラキュラがどこに存在するんだ。この世界の約束くらい守
れ。お客様の前じゃ親子も何もないんだ」
沙紀、沈黙。
磯部「拓、この子はあんたの娘。せっかく遊びに来たんだから」
拓馬「普段の顔は捨てなさいと言ってる」
沙紀、台本を握りしめる。
磯部、溜息。
〇劇場入口
窓に舞台『ドラキュラ』のポスター。拓馬演じる伯爵の目、ギロリと
光る。
〇劇場・楽屋
拓馬、マントを翻して外へ。
磯部、沙紀に寄る。
磯部「あんまり辛気臭い顔やめなよ。拓だって照れ臭いんだよ」
沙紀「……どうしても、納得いかないことあって」
磯部「ああ。拓のやつ、あそこだけ変えたんだよな」
沙紀、指輪を外す。
沙紀「このシーン」
磯部「そうそう、ドラキュラの前でさ。最初は部屋で外すと書いてあったん
だけど」
沙紀「……この間の生放送が良くなかったのかも。まだ私たちを認めてない
と思うんです」
磯部「今度、拓がゲストだろ。楽しそうな顔してた」
磯部、胸ポケットから写真を出す。
磯部「これ見なよ」
沙紀、写真を覗き込む。
沙紀「若っ」
磯部「だろ? 持ち歩くのもめんどくせえけど、あいつがいなきゃ俺なんか
とっくに野垂れ死にだよ。お前さんが生まれるずっと前」
沙紀「……私も、演者なんです」
磯部「もちろんさ。拓の血がそのまま入ってるからな。今日の舞台だってそ
うだ。いちいち親子共演なんて書く必要ねえけどよ」
沙紀「……まるで試験受けてるみたいで」
磯部「沙紀ちゃんが真面目だからだよ。その内いい加減になるよ。俺みたいに」
沙紀、苦笑い。
磯部「よし、さっき出て行った伯爵にも言っておかなきゃな。娘婿になる男
もいるわけだし。あんまり眉間に皺寄せると嫌われるぞってね」
沙紀「磯部さん、お願いが」
磯部「何だよ、今更お菓子頂戴何て言わないでおくれ」
〇劇場外観
一台の車が停止。
ハンドルを握る真一、窓から外を覗く。
満員御礼の看板。一人、また一人客が館内に入る。
真一、アクセルを踏み込む。
陽の光を浴びて走る車。
〇真一のマンション・キッチン(夜)
死体のような皿が沈むシンク。
バシャ! 蛇口から水が噴き出す。
電話から、長岡千亜紀(29)の声。
千亜紀の声「明日のことなんだけどさ、帰りに美味しい餃子でも食べに行か
ない? 真一さんの奢りで」
携帯電話を持つ沙紀。
沙紀「餃子どころじゃないの、今」
千亜紀の声「なんで?」
沙紀、シンク横に置いた台本を一瞥。
沙紀「台詞がすごすぎて」
千亜紀の声「パパの舞台!」
沙紀「そう。アドリブなんてあの人が許すと思う?」
沙紀、シンクに片手を突っ込む。カチャ、カチャとぶつかる皿。
沙紀「何か私、余計な電話しちゃったかも。せっかくの台詞忘れそう」
千亜紀の声「待って。お皿の音してる」
沙紀「同時にやらなきゃいけないんだってば」
千亜紀の声「お姉ちゃん」
沙紀、電話を切る。
離れたソファで寝転がり、携帯電話をいじる真一。画面から目を逸ら
さず、
真一「千亜紀ちゃん、元気そうだね」
沙紀「あのさ」
真一「今度、美味しい餃子でも食べに行こうよ。俺の奢りで」
沙紀「千亜紀は甘えてるだけ」
真一、携帯を手放し、
真一「自分は甘えていない宣言のつもりかな。姉の言い分、千亜紀ちゃんだ
ってそんなに聞きたくないと思うよ」
沙紀「お皿、こんなに増やしたくないのに」
真一「小さな皿、増やしたいって言ったの誰だっけ」
沙紀、沈黙。
真一「亭主の言い分もあるんだからさ」
沙紀、シンクから離れる。
〇同・寝室(夜)
ダブルベッドに駆け寄る沙紀。枕をつかみ、素早く部屋の外へ出る。
一個だけベッドに残る枕。
壁に貼った一枚の写真。
微笑む沙紀と真一のツーショット。二人の背にそびえる自由の女神。
〇同・リビング(夜)
枕を抱えて駆け寄る沙紀。
ソファから飛び起きる真一。
真一「風邪引いても知らないよ」
沙紀「別にいいもん。一人で寝る」
沙紀、枕をソファに投げる。
真一「ニューヨークに行ったなんて嘘みたいだ」
沙紀「嘘のまま過ごすよりいいでしょ。女神なんかどこにいるの」
真一、ソファから離れる。
真一「僕も一人で寝る」
沙紀「待って」
沙紀、真一に詰め寄る。
手に持った鍵を見せる。
沙紀「この鍵、覚えてるよね」
真一「枕に入れたのは知ってる」
沙紀「あなたがくれた物じゃない。錆びついていいわけない」
真一「僕の気持ちをこじ開けるつもりなのかい? そんな鍵、どこにあるか
知らないけど」
沙紀、沈黙。
真一「君にはダイヤをあげた。錆びそうな鍵なんかより似合ってた。忘れた
わけじゃないだろ? その鍵はお互い使うものって決めたじゃないか」
沙紀「もっともっとピカピカがいいの。見てくれる?」
沙紀、キッチンへ。
水浸しのシンクに鍵を投げ入れる。
唖然とする真一。
黙々と皿を洗う沙紀。
真一「僕は間違ったことしてないつもり」
沙紀、洗った皿を一枚ずつ重ねていく。
真一「いろんなゲストの方が来た。誰だっけ? 生放送で号泣した大女優さ
んは」
沙紀「やめて」
真一「僕は反対だったんだよ。プロポーズなんて番組を私物化することにな
るからさ」
沙紀「……後悔、してるわけないけど」
真一「何だか僕も後に引けなくなってた。視聴率が上がればいい。そう思っ
たのは事実だよ。あれこれ言われるのはわかってたさ」
沙紀「……私が急かしたことになるんだ」
真一「なる」
沙紀「それなら、断ればいいじゃん。膝付いてくれたの、演技だったわ
け?」
真一「いいかい。こんな具合に夜を長くしてるのは君の方だ。千亜紀ちゃん
だっていい迷惑してる。電話で戸惑ってたの聞こえたよ」
沙紀、一生分の沈黙。
真一「婚約したからって本音を吐けない理由もないだろ? 自分だけいいな
んてそんな結婚あるか。僕は御免だよ」
沙紀、真一から駆け足で去る。
真一、大きな溜息。
沙紀M「私たちの間のソファ。まるで悪魔みたいに見えた」
真一、ソファに寝転がる。
(つづく)