鋼の夜が明けて
『ストレンジ・デイズ』を見たのは高校生の夏だった。
1999年のロスが舞台のサスペンス映画で、脚本はジェームズ・キャメロン。監督はキャサリン・ビグロー。殺人事件を記録したディスクをめぐるハードボイルドで、けばけばしい画面が印象に残っている。
レンタルビデオで一度見た切りで、長い間この映画を忘れていた。
穴が開くほどカレンダーを見る。2月は早い。それを裏付ける出来事が訪れていた。
最初に「アウトサイダー文学賞」の文字を見た瞬間、自分の好きな分野で書けるかもと思った。
年が明けて、私は小説より映像編集の作業を続けていた(別記事で紹介予定)。幻冬舎ルネッサンスなる会社の公募には、おそらく送らないと思っていた。
ここは血と暴力の世界を存分に発揮しようではないか……!
尻に火が付いたのは、2月の半ばだった。
アイスランドの火山が噴火していると知り、動画で確認してみる。
人が巻き込まれたら骨も残らない。もちろん、ビョークの歌を聴いている暇もないほど炎が迫ってきていた。
始めはこの火山地帯でバスジャックに出くわす話を考えた。しかし、あまり進まない。そこでかつて自分が住んだ駅前のマンションを舞台に、犯罪と火山を結ぼうと考えた。
ほとんどの人がアイスランドに関心を持たない。もし、火山の映像が何の知らせもなく届いたら……ここから物語が始まった。
アイスランドの近くで、どんな犯罪が起きているのだろう。私はYouTubeで調べることにした。
興味を惹いたのは、スウェーデンで起きた発砲事件。
犯人は銃を店内に乱射していた。どうやらギャング問題が多発し、およそアバやエイス・オブ・ベイスの曲調と程遠い。
現実にいろんな事件が起きている。ハロウィンの夜だけ大暴れする、どこぞの島国とは大違いの狂暴さだ。
『ファイトクラブ』のような一人称小説を意識していた。あの小説を文庫で読んでいる間、これまでにない感触(アメリカ社会の歪み)を感じた。それは紛れもない、都市生活への怒りだったはずだ。
ここ日本でも、拳を握りしめたくなる夜はある。
ニューヨークで日本人ジャズピアニストの男性が暴行被害を受けたと知る。いきなり男が殴りかかってきたらしい。私はこの痛ましいニュースを聞いて、はらわたが煮えくり返った。
もしマニー・パッキャオなら、犯人は怖気づくに決まっている。犯罪とアジア人差別。2つのテーマを取り入れることにした。
物語にはルールが必要だ。例えば、
1,ムショ帰りの友人を切ってはならない。
2,アイスランドからの映像を無視してはならない。
3,パツキン美女を怒らせてはいけない。
実際はルールを考える間はなかった。規定の文字数まで増やすことが第一のルールだった。
〆切当日の夜、残る数時間前に完成。桜も散り、すでにヒートテックを脱いだ頃、東横線を舞台にしたこの物語は私の手に戻ってきた。
さて、冒頭に書いた『ストレンジ・デイズ』に戻ろう。
あるディスクを求めて陰謀に巻き込まれる。これをヒントにしようと思った。
人質の映像を記録したCDRが届く。裏には、遠い国からの黒い知らせがある。北欧ギャングの脅迫を交わしつつ、アジア人である男の孤独な闘い。私は書いている間、怒りが消えなかった。書き終えた後も、怒りが消えなかった。
火山の噴火は早い。だからこそ、逃げない主人公を書きたかった。彼はいつもつま先で歩いている。その足で、事件の解決に向かう。消して踵は付けない。なぜなら、足元に熱い溶岩が迫ってきているのだから。
『ファイトクラブ』を買った日について書こう。
その日は健康診断の結果を受け取りに保健センターへ向かった。
帰り道、大型書店へ。そこで以前から気になっていたタイトルが飛び込んできた。
洋画ファンで知らない者はいない。「上半身裸のブラピ」と書いた時点で、次にデイビッド・フィンチャーの名が浮かぶはずだ。
もう1冊は、犯罪小説の祖父と言っていい。ある炭鉱を舞台に、組織同士をぶつけ合い、解散させる。泣く子も黙る「赤い血」の話である。
保健センターの帰り、全く健康によろしくない2冊の文庫を手に歩く。いつのまにか本を包む袋がなくなったと知る。そのため、輪ゴムで固定し、それを利き腕に収めたままの状態で家まで帰ることになった(バスの窓からは書店に行った男とは思わないだろう)。
アメリカの今と昔。どちらも夢中で読めるほど、自分が若いことに気付いた。
『ファイトクラブ』は未だに映画を通して見たことがない。
『赤い収穫』を元ネタにした『用心棒』は、今年の年明けBSで見ている。2冊並べると、決して適温ではなく、チリチリに熱い。太平洋を挟んでも、チリチリに熱い。それは帰り道でも十分に伝わってきた。
よく晴れた日で、実は何を買うか決まっていなかった。しかし、表紙を見た瞬間、文字通り拳で殴られたような気がした。
「鋼の夜」を書いている間、拳を握りしめたままだったのだ。正確には、キーボードを叩いている手とは違う手で拳を作っていた。
ダシール・ハメットとチャック・パラニューク。この二人から熱をもらっていることを、まずは理解してくれないか。
幻冬舎ルネッサンスの編集者は、全く理解していないことがわかった。
そろそろアジア人が怒っていい時だ(遅すぎるくらい)。
あなたも拳を突き上げ、鋼のような熱い夜を体感してはいかが。