シナリオコンクールに送った頃のこと
テレビドラマを書こうと思い立ったのは2年前。それまで自分には無縁の世界だと思っていた。このまま未開発の映画脚本を温めても始まらないし、新たにストックが必要だと感じていた。書かないで待つか、書いて送るか。後者を選ぶと、少なくとも道はわずかに開く(たぶん)。私は無地のレポート用紙に、登場人物と設定をメモした。募集要領をもう一度読む。テーマは「家族」。後はページ数さえ守れば自由だった。
誰かの脚本を追いかけようとは思わなかった。これからプロを目指す者にとって、それが普通だと思う。私は洋画ファンであり、日本のテレビドラマが好きなわけではなかった。
20歳の頃、シナリオセンターに通ったことがある。当時大ヒットしていたガイ・リッチーやダニー・ボイルを筆頭とするイギリス映画を含め、広く見て来たつもりだった。洋画のようなシナリオを書きたいとわざわざ上京した人間なんて、あの教室にはいなかったと思う。
長い月日が経ち、古くからある名画座が続々と閉鎖し、今では数えるほどしか残っていないと知った。例えば、銀座にあったシネパトスが耐震審査によって閉鎖するという。一度も行ったことがないけれど、何だか寂しい気持ちになった。百貨店の屋上遊園地もなくなっている。昭和の頃、じいちゃんばあちゃんと一緒に行った場所がない。
物語のコンセプトを固めていった。男兄弟と引退間際の映写技師。この組み合わせで物語ができないだろうか……例えば、SF映画の元祖『メトロポリス』を取り入れ、展開できないだろうか。
2月、窓を覆いつくすほどの雪が降る中、私は中古のWindows10を使って書き進めた。ヒーローショーも重要なアイテムとして登場する。これは『ソルジャーV』という、架空の宇宙戦士で私がこの物語のために作った。主人公と弟は、祖父と共に百貨店屋上でショーを見る。そこで手渡したファンレターが、数十年の時を経て返事が来る。これがきっかけとなり、少年時代の記憶と交差しながら、展開していく……。
締め切り間際の夜、テレビ朝日に送ったことを覚えている。
雪が溶け、桜もとうの昔に散り、海開きも始まった7月、まだ結果を見る気にはなれなかった。
HPで知ったのは、盆に入った頃だった。多くの作品から『さよなら、フリッツ・ラング』を見つけた時、左手の拳を握り「よし」とつぶやいた。まるで受験番号を見つけた時のように。いや、そのような経験はないから、東京六本木からのお中元と言った方がいいかもしれない。
淡い期待を込めて2次審査結果を開く。何度探しても、どこにも見つからなかった。
小学生の頃、日曜8時からのヒーローを楽しみにしていた。『ウィンスペクター』『エクシードラフト』『ソルブレイン』と、記憶の片隅にある(年がばれる)。二次審査はテレビ朝日の制作部が受け持つ。もし、あの時代の特撮に対するリスペクトに気づかないのであれば、大変に残念なことだ。かつてテレビの前で声援を送った半ズボンの少年が、40歳を過ぎて、お腹周りが気になるお年頃になって、文字通り遅れてきた新人としてシナリオを書いている。制作部にサイレント映画や特撮にもっと理解があれば、楽々に選考を通過できるはずだった(と思わないですか?)。
主人公は祖父の影響でフィルムを修復している。ヒーローショーに行った日、ビデオカメラで記録していたのは、伝説の編集技師・天野正吉である。
御年80歳。子供たちと海水浴に行き、スイカ割を見事成功させる。エレベーターガール(もう使われない言葉)に見惚れるなど、現役ぶりを発揮。サングラスを掛ければ、親っさん風。なんとパンチパーマの「本職」が頭を下げに来る……そんな人だ。
私は愛する洋画と、デパートの屋上の懐かしい記憶を胸に、楽しく書いた。
ヤクザが思わず挨拶に来る、風格ある老人が審査において減点なのか? そう思いたくない。ただはっきり言えるのは、テレビ朝日にこのシナリオをドラマ化できる予算も情熱もないということ。(あいにく不倫の女は出てこないし、もちろんリメイクでもないぞ)
男兄弟の話、これまでコンクールに選ばれたことってあるだろうか?
『メトロポリス』を引用した話、映画を含めても見たことがない。割と硬派なドラマが上位に残らないことに失望している。本当に「何十年に一回の逸材」なら、『ハレーションラブ』だってもっと話題になっていた。長い台詞を書くことが才能なら、これからもテレビドラマの進化はない。
では、ページの一部を公開しよう。ぜひ「これが2次落ちか、なるほど」とつぶやいてもらいたい。この物語がテレビドラマであれ、映画であれ、必ず多くの人に届くと信じている。なぜなら、今も映画館に足を延ばす人がいるし、男子にとってヒーローショーの記憶はいつまでも残っているからだ。