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創刊サンデージャーナル 1

紙の出版物が低迷する中、無謀にも新たな日曜紙が誕生した。その名も【サンデージャーナル】。日常に潜むとんでもない話を読者から募集、独自に編纂した夕刊紙である。創刊に向けて、全4話をお送りする。トップを飾るのは、ある村で起きた不可解な事故。隠された真相とは?

 その壱 年下の男の子

 大きな衝撃音と共に聞こえたのは女の悲鳴だった。
 住民は家の戸を速攻閉め、誰だこんな真昼間からと本音を呑み込んだ。人影が消えていた。締め切ったカーテンの隙間から外の様子を伺う主婦もいた。まるでムショ帰りの不肖息子を待つように。 
 クラクションがけたたましく鳴り響いたのは二時過ぎのこと。突然道を飛び出した少年を避けようと、一台のセダンがハンドルを切った。少年の母親が駆けつけた時には、大破したセダンから油がぽたぽたと落ちていた。サイレンが鳴った。住民の通報を受けて消防車が駆けつけたのである。
 事故の顛末は不可思議なものだった。セダンを運転していた三十代の男が逮捕、取り調べを進める内、自分は加害者ではないと言い張った。男は「狙われたのは俺」と話した。捜査員も耳を疑った。
 事実、路上に飛び出した少年は無傷であった。男の咄嗟の判断が功を奏し、被害者は一人も出なかった。少年は間一髪セダンから避けている。
「だから、何度も言ってるじゃねえかよ。ガキが飛び出してきたんだよ。それで俺がハンドル切ったわけ。そのガキ、どうしたと思う? 笑ってたんだぜ」
 男の言い分に捜査員も首を傾げた。
 町内会長を務める田中さん(仮名)は母親の様子がおかしいと気付いている。
「私もできれば行きたくなかったんです。でもこのあたりで大きな事故なんて聞きませんから。泣いているというか、燃えてる車の前で叫んでいる様子でした。『危ないですよ』と声を掛けたんです。でもサイレンが響いて……」
 静かな村が騒然となり、消防車を物珍しいとばかりに人が出てきた。燃えるプジョー。電信柱に正面からぶつかり、大きくへこんでいた。煙を上げ、どうしようもなく危険であった。
 ぶつかった直後、エアバッグの衝撃で気絶したという。
 そして命からがら車から身を離したそうだ。
「あの子が飛び出してきたんだよ。それも急に」
 男は言う。
「それで普通ハンドルを切るだろ。こっちは鉄の塊を飛ばしてるわけ」
 何度目かの朝焼けをついに見ることはなかった。途中、映画『ベイブ』のDVD鑑賞があったようである。
「お疲れ」
 と、警察官。やれやれ長時間に渡る取り調べが終わった。男は蒼白、目は虚ろ、足元も覚束ない。
 
 「ほんとは轢き殺すはずだったんでしょ?」
 村の住民は冷ややかであった。当然男にアクセルを踏み込む権利などなかった。ハンドルを大きく切り、電信柱にバコン。道路に倒れこんで難を逃れた。日頃から人を遠ざける風貌ではあるものの、男は自分が被害者だと頑なに信じていた。大破したのは俺の車、愛するプジョー。ガキと母親はどこかへ消えたのだ。
 男の数少ない友人によると、二度と警察の取り調べを受けたくないと訴えていたようだ。昔からの付き合いであり、一度言ったことを覆すことはしないだろうと知っていた。
「同情しました」
 友人は言う。
「あの事故の取り調べが身に染みたんでしょうね。少年の母親になぜか世間の声が集まったこと、可愛そう、可愛そうと声を集めたこと。それが許せないと言っていました。私は何も言わず酒を交わしました。それが最後でしたね」
 事故を境に村人たちはより陰気となった。まるで芋虫の死骸でも見るかのように、遠くからの若者、及び旅人に対して歓迎しなくなった。宿屋の主人は玄関に鍵をガチャン。遠来の客を見る度「何しに来た」と睨むばかり。雪山を一望できる和室が数か月先まで予約が取れず、かつて村一番の繁盛を見せた過去もある。年季が入った宿の評判は、旅を愛する若者たちに支持を受けてきた。
 目の前でセダンが燃え、若い母親が空を裂くような悲鳴を上げた午後以降、主人は変わった。宿を閉めようと考え、昼まで頭を抱え込んだ。たまに散歩を試みるも、どこからかやってきた犬が吠え、振り払おうと必死にその場を去った。年のせいか息も切れる。スキー場が元気だった時代、こんなに早く老体になるとは思いもしなかった。足が弱くなったのだ。膝の関節が軋み、試作段階のロボットさながらゆっくり進む。頭上には烏が飛び、明らかに嘲笑している。年だ、と主人は思った。
 見慣れないナンバーを付けた車発見。「よそ者は帰れ」と睨みつける。これも朝の日課なのか、主人は険しい顔のまま歩いた。もう宿も閉める。あの事故で少年が助かってよかったなど、ただの一度も思ったことがない。
 死亡事故であれば運転手が確実に捕まるからだ。当日、燃える車から飛び降りて、玄関のドアを叩いた男と口論になった。
「うちはヤクザお断り。帰れ」
 傷だらけの男は暴言を吐きながら玄関を去った。
 遺体は用水路に仰向けだった。通りがかりの子供が第一発見、最初はVシネマの撮影かと思ったらしい。
 遺書が見つかると子供たちは青ざめた。
 後々厄介になると判断した警察、ビリリと破いてしまった。
 ここで男の出生について、友人から証言がある。生まれは小さな農村である。片親である人物とも疎遠なようだ。十五の年から村のとある集団に属しているらしい。
「ビレッジギャングですよ」
 友人は説明する。
「でも誤解しないでください。繁華街のガキどもとは物が違います。古くからの家父長制で、現在のドンは二代目です。これ以上は言えません」
 聞けば地域を裏で牛耳る男たちらしい。遠方からの若者に林業、農業の両面で就労支援を行っている。また村の老人会とも蜜月で、そのため七五歳以上の人間には抜群の知名度を誇った。  
 一体、消えた少年は自ら飛び出したのだろうか。依然として闇のままである。
「見えますか。あのシェルター。あれが建ってから男は警戒していました。後の祭りですが」
 友人は匿名での取材を条件に話した。
 指を差した先、山間にぽつんと白い貝殻のような建物がある。周囲が豊かな緑に広がっているため、その異質さは目立つ。
「あそこね、子供がいるんですよ。男の子ばかりでさ」
 毎朝の散歩を日課とする住民の目にも、あれよという間にその全貌が明らかとなる。ある日都会からの子供が押し寄せ、行列を作っていた。白い屋根に並列しながら吸い込まれてゆく光景は異様だったという。夜に入り、まだ行列は続いていた。泣き叫ぶ声が重なり、静かだった村は途端に騒がしくなった。
「どこの連中だ」
 そう言い放った人物こそ、二代目ドンだった。事故にあった男とは盃を下ろした間である。息子の失態に黙るわけがなく、義憤は当然シェルターに向いた。立ち止まる選択など皆無であった。
「親っさん。相当頭に来てたみたいですよ。息子あんなふうにされて、我慢ならなかったんでしょうね。もちろん、親子の後ろにいた連中にですよ」
 友人が言うには、建物内で少年を監禁、割礼するそうである。彼らは〈チルドレン〉として再び都会へと向かうことになる。その目的はひたすら従順な子として社会へ開け放すこと。
「若い女性がね、カウンセリングと称して男の子を徹底的にいじるんです。裸にして、食べ物も水も何も与えないくせにね。それで屋根の色が白なんです。男の子の変化、もうおわかりでしょう。あそこは男子養成を謳ってるだけで、実際は子供を開発しているだけなんです。ほんとですよ」
 受付の女性が恐怖に震えていた。にこりともせず目の前に立っていたからである。
 開口一番、男の印象が変わる。
「すみませんが、院長とお会いしたいのです」
 男の声にほっとしたのか、女性の手は電話に伸びた。冷静に接する女性。他の職員が駆けつけたのは、その数分後であった。
 職員の一人は語る。
「でもね、うちも甘いと言わざるをえないんです。玄関が開いているんですからね」
 建物は外部に向けて四六時中、開放していた。玄関先に警備員もいない。中から人が出る光景も見かけない。地域住民の不審な目を避けるためらしい。
 男が建物に入ると、子供たちはなぜか笑顔に変わった。
「ある少年が『おじさん、待ってたんだよ』って言うんです。見た目はどうみてもアレなのに。なんというか、堅気ではない感じですかね」
 聞けば毎年、ハロウィンに大量の菓子を寄付していたようだ。ドンの寄付活動に対し、村の住民は理解していた。嫌う子は一人もいなかったのである。
 ドンは院長室を叩いた。
「お騒がせしております」
 二人はしばしの間、言葉を交わした。
「息子が自害しましてね。これも親のせいだと思っているんです。息子なくして黙り込むなら、舌かみ切って血反吐出す方がいいんですよ。この度の無礼、どうか目を閉じてください」

 事件の顛末には誰もが驚いた。
「男の子、いたでしょう。女と一緒にいたあの子です。いや、僕も聞いた話なんですけどね」
 少年の名は康太といった。事故当時いた女は実母ではなく、なんと役者だった。
「康太君はすでに女のものでした。詳しいこと避けますが」
 聞けば河川敷でまた女といるところを見たという。
 一帯にはバーベキューやジョギング、釣りを楽しむ住民がいる。成人女性と少年の組み合わせは目立った。昼間、高齢者の割合が比較的多いこの地域で、人の目も憚らず遊んでいる。女の方は手を伸ばして少年の体に触れていた。その腕、その動きが不可思議だったらしい。
 ある住民は橋の上で二人を見た、と話す。
 別の男性は口を尖らせて言った。
「親子にしちゃ年が近いし。姉弟にしても顔が似てなかったんだよ。人がたくさんいるから、どうってことないと思って見過ごしてたわけ。でも俺が甘かったよ」
 緩やかな弧を描いた橋だった。竣工は古く、この橋を村のシンボルだと崇める者もいる。川は穏やかである。東から西へ、夕闇に照った川面に目が眩むほどだ。
 なぜ女は人里離れた村で少年と遊ぶのか。証言が曖昧である。
「いや、この辺で勘弁してください。何されるかわかりませんから。きっと二人で橋を行き来したかったんじゃないですか」
 目撃例が途絶えたのは二月、上空に強い寒気が広がった未明のことである。雪が降りた河川敷に炎が。
「煙、見ました。灰色の」
 川沿いにホームレスの家がある。木造一軒屋が草叢にある。青いビニールシートで囲った簡素な建物だった。教室で、体育館で、近づくなと聞いていた。
 生徒は言う。
「でも私たち、あそこに人がいるのは知っていました。だって寒そうじゃないですか。生活保護でも受けて普通に暮らせばいいのに。こんなこと言うと先生は甘えとかって怒るんです」
 現場は橋から五十メートル、東の方角だ。
「夜明けごろ、ドンって音がして。みんな聞こえたと思います」 
 建物から立ち込めた煙は空高く上がった。
 鎮火した元には散乱した木材、食べ残したスナック菓子の袋が残っていた。
 そして女性用の下着もちらほら。
 火だるまで川に飛び込む男の目撃例がある。  
「ここだけの話ですよ」
 村人は小声で言う。
「康太君が綺麗なお姉さんを連れてきたって」
 男の目の色が魔物に変わったようである。
「これ以上は……ちょっと勘弁」
 康太はシェルターでもらった菓子を男性に上げていた。自分が女から受けた数々の屈辱について話した過去があるようだ。
 そして爆発音が届いた朝にはどこかへ消えていた。
「男は罪を清算しようと持ち家を手放したのです。残りのガスボンベ、使い切ったらしいですよ」
 少年を弄んだその女の行方は今日までわかっていない。(つづく)