民謡酒場に生まれた、わたし
みなさん、メリークリスマス!
どんなクリスマスをお過ごしでしょうか。
わたしは今、寝っ転がりながらこのnoteを書いてるよ〜
サンタさん来なかったな〜確かに今年、いい子じゃなかったかも?
でもうちは小さい頃からうちはクリスマスは
トイザらス=サンタさんでした!現実的!!!!
今日はそんな現実的な“服部家”の話。
わたしは、浅草で64年続く民謡酒場『和ノ家 追分』の長女として生まれました。
もしかしたら民謡酒場って耳馴染みがない方もいらっしゃるかもしれませんが、民謡酒場とは…
あれ、今wikiで調べようとしたけどないね。
娘流に解説すると、
【津軽三味線や、唄、踊りなど日本の音楽のステージを見ながら飲んだり食べたりするお店】
HPもあるので是非とんでみてね!
津軽三味線には毎年全国大会があるのですが、『和ノ家 追分』から日本一の方がたくさん輩出されています。
全国各所からプロ志望の若い方たちが追分に修行に来て、浅草なのにたくさんの方言が飛び交っている光景がいつもの日常でした。
(でも何故かみんな青森弁をすこしは話せてしまう)
先日、『部屋着はグレー』のリリースに先立ってコメントをくださった金ちゃんは追分のOBでもあり、同じくコメントをくださった彩花ちゃんは現役で働いていらっしゃいます!
どちらも素敵なコメントをいただいたので
是非読んでみてね!◎
いつも賑やかな服部家
うちは父、母、妹、わたしの4人家族です。
父が『和ノ家 追分』の大将 兼 料理長であり、
母が女将 兼 三味線や歌のプレーヤーとして店をとりまとめています。
そして、この人を忘れたら呪われる。
追分の大女将でありわたしのおばあちゃん。
数年前に他界してしまっているのだけど、
『追分』を作った人であり、
そしてわたしのことをとにかく愛してくれた
大好きなおばあちゃん。
父の破天荒さは
この人のDNAだ!!!!!!!!!!!って思うくらい【THE 浅草の人】って感じの女性でした。
おばあちゃんのスーパークレイジーエピソードはたくさんあるんだけど、それはまたいつか。
なんで民謡をやってこなかったのか
そんな感じで…
学校から帰ってきたら家族みたいな追分メンバーのたくさんの「おかえり」に包まれて、
時には住み込み修行してるにいちゃんのエロ本を見つけちゃったり、
わたしに初めて彼氏ができた日にはお祝いの民謡『南部俵積み歌』をみんなが歌ってお祝いしてくれたり(独特)
確実に言えることは、
今の服部奈緒は民謡酒場『和ノ家 追分』が作ってくれました。
それでも現状として民謡をやらずに今シンガーとして歩き出そうとしているのに正直大きな理由はありません。
前のnoteでも書いたけど、
民謡酒場の娘に生まれたからって民謡に限らず、好きなことをやってほしいという両親の想いと、沢山の一流の演者の皆さんが一緒にいる空間の中で、「わたしもやってみたい!」と言い出すのにただただビビってた。
いつでも自分で言い出すことはできたけど、
そう思っていた矢先、高校生の時ジャズに出会って、
気づいたら、今です。
どこかの誰かが言っていたけど
人生はタイミングと出会いだと本当に思います。
浅草の民謡酒場で生まれたシンガー服部奈緒として、
小さい頃から大好きな追分メンバーに教えてもらった音楽の力を
今度は自分が自分だけの色で表現していきたいと思っています。
最後に
そんな『和ノ家 追分』ですが年の瀬はたまーにお手伝いしております!
ぜひ皆さま遊びに来てくださいね!
そして、明日はインスタライブを20:30〜行います◎
わたしのInstagramで行うので是非遊びにきてね!
▽Instagram
https://instagram.com/naototemouretai?utm_medium=copy_link
最後まで見てくれてありがとう。 奈緒
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