牛屋の花見(上)

 四季を通じて人の心持ちが浮き浮きするのが、春。陽気もよくなってきましたので、ここいらで風流気をだして花見とほうぼうでにぎわっています。
 しかし、坂口安吾の「桜の森の満開の下」(岩波文庫)の冒頭は次の言葉から始まっています。
 
 「桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集まって酔っぱらってゲロを吐いて喧嘩して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は恐ろしいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。(中略)能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまうという話もあり、桜の林の下に人の姿がなければ怖ろしいばかりです。」
 
 えぇ、事ほど左様に昔は怖ろしい場と相場がきまっていたようですが、いえ、昨今のおめでたい連中の周りには、たとえ人の姿があっても怖ろしさに変わりはないようです。
 
「さあみんなちょっとそろってくんねえ。いやね、呼んだのはほかでもねえが、今晩、JAの購買部長のところへ集まってくれという使いがきたんだ」
「なんだい、和牛改良部長」
「さあ、行ってみなけりゃわからねえが、うっすらとは見当はついてる」
「部長からのお呼びじゃ、どうせろくなことじゃあねえ」
「留さん、お前さんなにか身に覚えはねえのかい」
「ひょっとすると、もう気付きやがった」
「なんだよ、言ってみなよ」
「いやァ、一月前に寄り合いの帰りに部長がどうしても皆さんに見せたいものがあると言って皆で家へ押しかけたろう」
「あぁ、自慢の古伊万里のお披露目」
「おう、『開運!なんでも鑑定団』の地方大会で去年、中島誠之助先生が120万の値を付けた代物しろもんだ」
「そいでね、部長がはばかりに行っている隙に、すり替ぇちまった。いや、懐が一番寒い時期でつい出来心で」
「何に替えたんだよ」
「いやね、最後が俺だろう。丁度、懐に鉱塩こうえんのかけらがあったんで、目方も大体同じだろうてんで。急いでウコン布にくるみ共箱ともばこに入れ戻し・・・・・」
「馬鹿野郎、どこの世界に鉱塩のかけらを懐に忍ばせているやつがいるかい。さしずめ確信犯だな、てめえ、舐めたまねしやがって」
「いやぁ、舐めたのは牛だ」
「八公、お前さっきから大人しく黙っているが」
「あれっくらいで、恨みを買う覚えはねぇとは思うが・・・・・。ひょっとすると購買者べったりの小心者のあの野郎のことだ」
「なんだよ、奥歯に物のはさまった言い方じぇねぇか」
「いえね、先々週セリで売った子牛なんだがね。まだ小さい頃クロストリジウムによる下痢をこじらせてから、餌食いは落ちるし、毛は逆立つし、目の周りは白癬はくせんだらけで、てんで発育が遅れちまいやがった」
「まだ、小さい頃たって、最後まで小さかったじゃねえかよ」
「面目ねえ。それで前の晩、試しに計量したら一年近い年齢としだってぇのに、三百kgに僅かに足りねえ」
「それで」
「まあ、おれも半端な事は嫌れえだからよ。ちょっくらホームセンターに行って5kgの鉄アレイを3個買ってきた」
「(不安そうに)・・・・・」
「で、そぉとケツの穴から1個ずつ」
「まさか、おめえ」
「そのまさかよ。ワセリンを塗り々小一時間掛かったが、市場の電光掲示板で302kgという数字を見た瞬間、今までの苦労が一気に吹き飛んだぜ」
「ふてぇ野郎だ。舞の海の新弟子検査時のシリコン注入じゃあるめえし」
「これで、バイアスが取れて、市場の不均一分散の回避に大きく貢献した」
「・・・・・きっと飼料えさ代の催促だ」
「飼料代の?・・・・・ずうずうしいにもほどがある」
「え、ちょと伺いますが、飼料代というのはなんのことで」
「おやおや飼料代を知らないやつが出てきやがった。飼料代というのは、月々JAのところへ持っていくおあしだ」
「そんなもん、まだもらったことがねえ」
「あれ、この野郎、納めもしねえのに飼料代もらう気でいやがる」
「こりゃ、うわ手が出てきたね」
 
 一同が夕方、購買部に三々さんさん五々ごご集まってくる。
 
「部長、すいませんが飼料代のほうは、もう少し待っていただきたいですがねえ」
「ははは、今日、私が呼んだのは飼料代の催促ではありませんよ」
「そうですか。とっくにあきらめましたか」
「あきらめちゃいませんよ」
「わりに執念深いね、部長さん今年の干支えとの蛇年生まれかい? ものごとはあきらめが肝心だ」
「また、ご冗談を。今晩呼んだのはほかじゃない。いい陽気になったんで、明日、JA主催で花見でも行って、貧乏神を追い払ってしまおうと思っているんですが」
「おう、有り難いね。JAに入って初めていいことがあった。丁度、商社系に餌を変えようと思っていた矢先だ」
「・・・・・えぇ、ただこちらも最近、予算がきびしくなりまして、あとで揉め事が出てもいけませんから、酒や料理に少し趣向をこらしてあります」
 
 それで牛屋の連中、花見をしながら重箱をつついております。
 
「おォ、そこにあるのはフォアグラじゃないかい?」
「おォ、隣の花見客の連中がそっとこっちを振り向いたぜ」
「えェ、さすがにこれだけは皆様には究極のものを奮発ふんぱつしました」
「おォ、さすが部長さんだ。本場はドルドーニュ産、ランド産?」
「ユキジルシに決めました。メイジにしようかとも迷いましたが」
「あまり聞かねえ産地だね。新興勢力かい?」
「スーパーのうなぎの肝にクリームチーズを加えたもので、九州大学大学院の都甲とこう潔教授の『ハイブリッド・レシピ』(飛鳥新社)に秘伝として紹介されています(*1)。75gで4,000円の市販品と同一クオリティのフォアグラもどきが10分の一のコストで仕上がりました」
「き印並の発想だぜ」
「えェ、じゃせっかくだからコーンポタージュスープを頂こうか」
「黒澤さんに取ってやりな。牛屋いちばんのグルメだ」
「変わったコーンですね。粒がバラバラにらんざくになっているが、・・・・・結構、シャキシャキ感はある」
「(あきれたように)部長、解説してやりなよ」
「へェ、暖かい牛乳(100ml)にみじん切りにしたたくあん(10g)を入れました。これもその本にあります。えーと秘訣は10分間待つことです。早すぎると、まさに牛乳そのもので、逆に30分も置くとたくあん漬けになってしまい、おいしくありません」

 以下、牛屋の花見(下)に続く。
 

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