コープオリンピア
原宿駅前に建つこのコープオリンピアの設計者は、「鉾之原捷夫」という人物。実は、私の父の元同僚で同じ社宅に住んでいたご近所のオジサンだったんです。
ベージュのスバル360をサイケなカラーリングを施して乗り回していました。父が「ホコちゃん」と呼んでいたのをよく覚えています。
ゼネコン設計部のスタッフでありながら、彼の独創的な設計技量は、建替え前の御成門にあった中華料理店「留園」ビルに見られるごとくです。本格的中華建築が増上寺の目前に出来上がったときの衝撃は大きかったハズです。
また、三島由紀夫邸も実は彼の作品です。(1959年)
コープオリンピアの設計思想は、nLDKといった部屋の機能設定がされていないことです。それぞれのユニットは可動間仕切りで自在に区切ることができ、個々の購入者ニーズに合わせて部屋づくりができることです。
同じ表参道添いにあった同潤会アパートとは全く正反対の設計思想だったわけです。
ファサードのギザギザは、北面窓を明治神宮に向ける工夫であり、ユニット単位の幅を示しています。外観からは想像できませんが、複数のメゾネットタイプもあり、50年前の東京オリンピックに合わせて建設された立地条件も完璧なこの物件は、相当の高額商品だったのでしょう。
個別のクライアントに対して適正化された設計が目玉だったこのマンションは、ディベロッパー視点で見ると、相当な意欲が伺えます。
現状のマンション業界では、nLDK化されたユニットを商品化していて、住まい手がリフォーム等で造作を変更したとしても、ご本人の価値観以上の値は付きません。不動産屋に売却したとしても、元のnLDKに戻して再販されてしまいます。この様な理由から、後のマンション開発では、いわゆる自由設計ではなく、画一的な間取りで効率性を高めた建物が主流になったというわけです。
父の遺品を整理していたとき、このコープオリンピアの図面とパースが見つかりました。図面は青焼きが白んでしまい、一部しか読み取ることはできませんが、手書きの図面を見ていると、歴史に名を馳せることなく、でもしっかりとした足跡を残したアーキテクトの息遣いを感じます。
現行法規では、容積率オーバーとなるこの建物は、そろそろ建替えが目論まれていますが、区分所有者をまとめることに加え、一戸当たりの面積も減少してしまうことなどから、建替えまでの道のりは長いようです。