【ヨガ日記】ヨガの効果を実感し普通に仕事をすることの意義
僕はヨガのインストラクターですが、今は自分自身のヨガの実践よりも普通に仕事をする時間の方が長いです。
自分のための時間よりも社会貢献の時間の方が長いとでもいましょうか。
ヨガの先生がヨガの実践が少ないなんて辺だなと思う方もいるかもしれません。
ピアノの先生は指導者であると同時に誰よりもピアノの練習をするでしょう。
何かしらのスポーツの指導者であっても自分の技術を磨き続けることはするでしょう。
確かに、そういう意味ではヨガの練習をし続けることは必要です。
でもヨガって技術を磨くことが目的じゃないんですよね。
発表会があるわけでもありませんし。
ヨガの目的は、自分自身で苦しみを生まずに、快適に過ごすことです。
僕はある程度のゴールに達したので、苦しみは一般の人に比べればないでしょう。
快適な状態に自分を置くこともできます。
執着も一般の人よりないので、苦しみません。
アーサナを深めたいというよりも瞑想などの方に興味があるので、瞑想は行いますがそれでも長くはしません。
仏教には小乗と大乗という雑ですが分け方があります。
自分のための修行が小乗であり、いわゆる初期仏教です。
大乗は日本に入ってきたものがほとんどそうなのですが、救済の仏教で世の中のために祈ったりする方法です。
般若心経や空の思想、そして如来や菩薩といった思想になります。
ヨガはそれに当てはめてみると小乗です。
自分のためですね。
でも、小乗的な部分で満ち足りたならある意味目的を達したということになります。
であれば、次はその快適さや幸せを広める段階です。
つまりは大乗です。
それって、僕にとっては普通に仕事をすることなんですよね。
つまり、本来仕事ってそれそのものが修行のようなもので、世の中をよくしたいという思いで自分の人生を使うことです。
多くの方は、自分を見失ったり、ストレスなどで苦しみの中でどうにもならないという状況でヨガに救いを求めるのでしょう。
そして、自分が自分でいられる実感を得てハマっていきます。
僕もある程度そういう部分もありました。
ヨガはインド文化やアーユルヴェーダなどとにかく関連分野が広いので、そういう興味もキリがないほどありますが、興味はさておき、苦しみを生まないという目的が達せられたなら、小乗はもういいかなというのが本音です。
実際どうでしょう?
ヨガインストラクターとして、普通の仕事をしてる人って少ないように思います。
ヨガが仕事ですというのも素晴らしいことですし、それが社会貢献でもありますので意義はあります。
でも、同じくらい、普通の仕事も苦なく社会貢献であれば立派ですよね。
僕は、ヨガを身につけられたら、その経験を維持しながら、普通に仕事されることも素晴らしいと思っています。
僕自身もそうですが。
別にヨガの鍛錬を毎日することが社会貢献ではありません。
自分のための時間と、社会のための時間。
限られた時間をどう使うかは人それぞれですが、僕は十分自分の時間は使ってきたので、仕事をして社会に笑顔を増やす仕事をしたいなと思っています。
もちろん、時々はインドに行って自分の研鑽もさせてもらいます。
小乗と大乗というバランスを少し意識してみるのも分かりやすいなと思っています。
ヨガをしている人がみんなヨガインストラクターになる必要はないと思っているので、仕事をしつつヨガを生活に取り入れてい、ヨガ的なピースフルでポジティブな思考で生きる人が増えると社会がどんどん良くなるんじゃないかなと思ったりします。
※写真はインドの聖地ヤムノートリへの道です