【日記】デイキャンプに行くと思う日常をもっと充実させたいなと
休日になると家族で川に行って釣りやBBQをするのが我が家の定番となっています。
外で食べる食事は格別で、とにかく気持ちいいんですよね。子どもも元気いっぱいに遊んで楽しめるし、そんなに混んでいないので、密を気にしたり声のトーンを抑えるように子どもをしつける必要もない、最高な環境です。
でもふと思うんですよね。
子どもは、釣りして、魚ガサガサで取って、石で遊んで、砂遊びして、鬼ごっこやボール蹴り、、、。
大人も、外で焼肉して、日向ぼっこして、子どもと一緒に駆け回って、ちょっとビールなんて飲んだりして、、、。
これって別に特別なことじゃないんですよね。外で自然と戯れて、ご飯作って、寝てるだけですもんね。別に特別な3DのSF映画を見てるわけでもないし、高いお金払ってジェットコースター乗ってるわけでもない、、、。
でも凄い充実した1日。
逆に考えると、普段の日常がどれだけ普通じゃないかということだなぁって思うわけです。
都市や社会という中で生きるというのは、自然の中での人間らしい生活を犠牲にして、何か我慢した中で生活しているということなんじゃないかなと。
実は、東北の震災で原発事故があり、その頃からふと虚しくなることがあって。今回の感染症に振り回されている中でもやはり、その自然から遠ざかっている生き方に対する違和感のようなものを感じています。
僕は駅前のスタジオで仕事をしているわけですし、多くの場合、社会に合わせて生きています。だから仕方のないことなんだけど、ふと休日になると自然に近づきたくなるんですよね。
市民農園で畑をやったり、休日は登山や川に行って、何とか自然のエネルギーをもらって自分の中のバランスを保っている感じがします。
この前、カヌーイストの野田さんのコラムにこんなことが書いてありました。
「田舎では釣りや虫取りなど遊ぶものが山ほどあった。都会に引っ越して、遊ぶものがなくなった。することがないから映画に行くくらいしか楽しみがなくなった。」
都市ってそうだよなと思う。自然から遠ざかると暇になるんですよね。そうなると、時間潰しに人工的な遊びをするようになる。作られた娯楽ね。
インドの山岳民族の子ども達はお手伝いしてるか、たむろってべちゃくちゃ喋ってた。シャイで恥ずかしがりながらも、大人に混じって黙々と仕事酢る子たちが多かった。時にはクリケットしてたけどね。
山を降りて、都市に来ると、子ども達は制服を着てグラウンドでサッカーやクリケットをしていた。雰囲気がまるで違った。柵にで囲まれたグラウンドでのサッカーを見た時に、都市に降りてきたんだなぁって実感した。
自然欠乏症候群は、子どもだけでなく大人だって影響あるんじゃないかな。僕が八王子より東にあんまり行きたいくないのは、僕の中の自然との距離の限界なんだと思う。本当はもっともっと西に行きたい。
家の近くに林があって、川があって、、、敷地内の畑で取れたもの食べて、、、そんな生活を夢見ながら、街で仕事をしている今日この頃です。あぁ山が欲しいなぁ。