河野義行さんという方について
松本サリン事件の報道被害者。奥様は被害者で14年後に意識が戻らないままお亡くなりになっています。河野さんの言葉に心が反応し、共感することが多かったのでまとめてみました。
【河野義行さん】
1994年に起きた松本サリン事件(死者8名、重軽傷者800名)の被害者で、当時会社員だった河野さんは、第一通報者ということで、約1年もの間犯人の疑いをもたれ続けた方です。奥様も被害に遭われています。
書籍も5冊ほど書かれています。各地で講演もされているようですね。
詳しくはWiKiを参照して下さい。「河野義行」
僕の持った印象です。
・事実を淡々と把握されている。
・恨みは人生を楽しい方向には向かわせないという事実を理解されている。
・奥様のこと家族のことを心から愛していらっしゃたのだなと思う。
・批判も感情とは切り離し事実を述べられている。
・自分の人生というものを客観的に捉えたいらっしゃる。
こういう態度、姿勢はなかなかできることではないと思います。
出身大学の専攻が理系ということで、物事の見方が客観的なのかもしれません。
奥様の医療費は総額2000万です。河野さんは、自分にとっての松本サリン事件は、妻の回復を最後まで諦めなかった歳月というふうに捉えているようです。
【河野さんの言葉】
「人は間違うものだ。間違えているのはあなたたちの方なのだから許してあげる。そういう位置に自分の心を置こう」from 朝日新聞
怒りを覚えるような態度や、トバッチリなど、時にはやり場のない悔しさが起こるような事柄も人生にはあります。
河野さんはその極みでしょう。
でもそこで、その悔しさや恨みに自分が飲み込まれないようにする方法として、実践されたのが、「許す」という態度です。
僕もそういう時には、可哀想だなどその相手に勝手に同情するようにしています。可愛そうな生い立ちなんだろうなとか、愛を感じて育てなかったんだな、とか虚構の世界で苦しんでるんだなとか、、、。
相手よりも一歩引いて、大人になって許すという態度をとると確かに、怒りや悔しさは減っていきます。
「意地悪する人たちよりは、少し高いところ心を置いておこう。」from アムネスティ
もうソクラテスですよね。
低俗な人に合わせる必要はない。自分たちは1つ高いところから物事を俯瞰しているんだと。
世の中はある意味、低俗な欲にまみれた人々がマジョリティでもあります。メディアはその欲を増幅し、その欲に答えるべく低俗と知っていながらそこに固執しています。
自分の心を冷静に、そして信念をもって生きるためには、この俯瞰した視野と俗世間を冷静に観察する目が必要です。
そして社会もまた、人が作っている感情で動く生き物のようだと理解することです。
「刑を終えたら普通の人ですから。それを差別したら、あなたが人格を疑われるよ、と。〜私は、そういう理不尽なことが大嫌いでね。私も犯人にされるという、これ以上ない理不尽な目に遭ったわけですから」from 女性自身
罪を憎んで人を憎まず。
そうできる物ではないですね、、、。
胆管されているなぁと。どこか人を信じている感じがしますね。過ちを犯しても、それはも違いであって、その人そのものを否定する物ではないと。
それを思春期の子ども達にも行ってきかせたというから人格のある方だなと。
「一たん逃げますと、次々逃げなきゃいけない場面になってくるのですね。ですから、うちは逃げずに、それを自分の力で乗り越えていったということです。」from 基調講演
自分が間違っていなければ逃げない。逃げる行為はもっと自分を不利にする。これを実践するというのは信念が強いということですし、おそらく被害妄想や状況を悲観するマイナスな思考よりも、間違っていないのだから世の中の方がおかしいという強い信念がある方なんだと思います。
でもその態度は淡々としてされているんですよね。
【まとめ】
河野さんの考え方にも賛否両論あると思います。
でも僕は結構共感しました。
そして、客観的な物の見方、人生の受け止め方、そういうところに人格者としての条件を見た感じがします。
多くの方は聖人や芸能人などの特別な人の格言に興味を持ちますが、こういう会社員である日突然冤罪で被害者に祭り上げられてしまった方の人生やその対応に、とても得るものがあると思います。
もっと興味はあるのですが、とりあえずここまでとして、河野さんのまとめを終わりにします。僕の中ではいいとても参考になる時間でした。