【日記】論文中の「健常成人」とは何か?〜曖昧な健常〜
よく文献を読んでいると、「被験者は健常成人とし〜」という被験者の設定が出てきます。
「病気を持っていない健常な大人」ということです。
例えば、歩行を解析した研究だとします。
そこで、対象は健常成人100名に歩行解析したところ、80%にある現象が認められたので、これが正常の基準値だと言えます。
ここで問題なのは、病気を持っていない人は正常歩行をしているという前提は合っているのでしょうか?
正常値や基準値を調べるために、病気を持っていない人であれば、その多数は正常であるとなぜ言えるのでしょうか?
臨床や講座を担当していると日本人の人で、立っている時に骨盤後傾している人はとても多いです。
僕の印象では8割はそうです。
その方々は姿勢から言うと異常です。
でも病気を持っていなければ、健常成人になります。
100名集めた中に8割骨盤後傾の人がいて、ある現象が8割認められたとすると、それを正常として解釈することはとても危険ですよね。
というか、その現象が異常なんではないかという真逆の考察になります。
僕は、姿勢を進化学や比較解剖学から見ていますので、「正常」という基準を例で挙げたような研究とは違う視点で持っています。
そしてそれは物理的にも理にかなっています。
しかし、時にその解釈は論文と相違したりします。
その時、自分の理論を採択するのか、論文の理論を採択するのか選択を迫られるわけです。
多くの場合、論文の対象である健常成人の定義がないので、僕は論文を信用しません。
臨床での結果の方を信じます。
なぜなら目の前で変化が起こるからです。
また、自分自身も論文に変えてあることを実践したりします。
そうすると時に痛みが出たり体がおかしくなります。
服圧や多裂筋、殿筋なんていい例ですね。
健常という定義は、あまりにも曖昧なのです。
病気にかかっていないという定義は、曖昧なのです。
この課題は論文を読むときに注意しなければいけない大切な視点だと思っています。
「健常」とは、何を持って健常なのか、、、。
研究する側としてもとても困った問題です。