ネオアコに夢中だった1984年〜40年前の記憶
自分の音楽リスナー体験の中で、今から振り返ると(転換期だったな)と思える年があって、1984年は一気にネオ・アコースティックに振れた年でした。ハードなギターよりもアコースティック・サウンドを求め、ボサノヴァなんかにも興味を持ったりしました。なので特に好きだった1984年ネオアコなバンドを紹介したいと思います。
EVERYTHING BUT THE GIRL
大学でソロ活動をやっていたベン・ワットとトレイシー・ソーンが出会い結成したユニットがEVERYTHING BUT THE GIRL(以下EBTG)。その辺の経緯は2019年に刊行されたトレイシーの自伝『安アパートのディスコクイーン』に詳しく書かれてあります。
トレイシーのソロ『A Distance Shore / 遠い渚』は、日本では1983年にリリースされていて、ギター中心のロックばかり聴いていた自分はそのシンプルなサウンドに衝撃を受けました。
EBTGとしてのファースト・シングルは名曲『Night And Day』のカバー。このジャケットから、その清楚な音が想像出来ます。
そして1984年にファースト・アルバム『EDEN』が出るわけですが、ネオアコにおける名盤中の名盤です。これで完全にEBTGの虜になりました。
シングルはこちらも代表曲『Each & Every One』。ギターでコピーして、ボサノヴァの弾き方を覚えました。
特にこの時代のUKアーティストは、シングルにアルバム未収録曲を入れることが多く、しかもそれが複数ヴァージョン存在したり、集めるのに苦労しました。
2012年にアルバムのデラックス・エディションがリリースされまして、B面曲や貴重なベンとトレイシーのホーム・デモが収録されています。
THE SMITH
続いてはこのバンド
これも衝撃でしたね。渋谷陽一さんのNHK「サウンド・ストリート」で紹介され、すぐ好きになりました。バンドは来日することなく解散しましたが、モリッシーの初来日公演は観ることが出来ました。福岡公演が日本での初日で、観客がステージ前に多数押し寄せ、大変な騒ぎになりました…。
THE STYLE COUNCIL
1984年は、ネオアコ・シーンにおいて重要アーティストのファースト・アルバムが次々にリリースされています。
THE STYLE COUNCILの『Cafe Bleu』もそうです。
人気絶頂のTHE JAMを解散させ、この路線に行ったポール・ウェラーに戸惑っていたジャム・ファンも多かったのですが、僕は抵抗なく入れましたし、日本ではスタカンのほうが売れたみたいです。ちょうどカフェ・バー・ミュージックみたいな捉えられ方をしたところもあったようで、ロック・リスナーではない層にも受けた部分は大きいですね。
THE BLUEBELLS
短命でしたが、このグループも好きでした。
スコットランド出身の5人組。ニック・ヘイワードやオルタード・イメージのメンバーから気に入られ、エルヴィス・コステロがプロデュースをかってでたり、ミュージシャンからも評価が高かったようです。また元オレンジ・ジュースのクレイグ・ギャノンが途中から加わったり、メンバーの風貌からも正に80年代前半のイギリスの香りが漂っています。個人的にはオレンジ・ジュースよりもブルーベルズの方が好みでした。日本では余り有名ではなかったですが、今ではサブスクでも容易に聴けるので興味がある方は是非。
PALE FOUNTAINS
彼らも渋谷さんの「サウンド・ストリート」で聴いたと思います。ストリングスやホーンの使い方が新鮮で、代表曲『Thank You」は特に爽やかに響きますね。この辺からもギター・サウンドとは違うテイストを自分が求めてたのだな、と思います。
あとネオアコとは違いますが、エルヴィス・コステロが1984年にリリースした『Goodbye Cruel World』も好きでしたね。本人はこの頃の路線を気に入っていないようですが、ポップだし、ダリル・ホールとデュエットした『The Only Flame In Town』のソウル・テイストはスタカンとも共通項あって、この時代のUKサウンド=ブラック・ミュージックの白人的解釈を象徴していると思います。
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