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911とジョー・ストラマーの勇気

今日は9月11日、つまり911。米国同時多発テロから23年も経ったのか。僕はその頃、放送局に勤めていた。速報が入ったものの情報は少ない。事態の全貌が掴めない。でも「大変なことになった」と思い、家族に電話して「今日は帰れない」と伝えた。現地NYと奇跡的に電話が繋がったのでレポート入れながら、日本語・英語で夜通し臨時ニュースを流した。


911で思い出したことがある。
ジョー・ストラマーはあのテロの直後にメスカレロスを率いてアメリカ・ツアーを敢行している。その後のジャパン・ツアーの時にインタビューする機会があった。それは、僕が企画したTHE MODSの森山さんとの対談番組だった。収録日は2001年10月30日。ツアー初日は福岡公演で、その日の昼間に行った。

(911の影響で)幾つかのバンドがアメリカでのライヴをキャンセルしたから、ジョーは知人から「本当に来てくれるのか?」と聞かれたそう。ジョーは"Let's do it"と答えたそうだ。楽しみに待ってくれてるファンを音楽で励ます為に勿論行くのだ、と。アメリカを回る際は飛行機が危険なので、全米をバスで移動したそうだ。ライヴ後のバスの中は汗の匂いが充満してたそう。

この写真は取材した日の夜、福岡ドラム・ロゴスで行われたライヴが終わった後。僕の顔が赤いのは、終演後ジョーを待つ間、落ち着かなくて飲めないビールを沢山飲んじゃったから(笑)。ジョーは「ライヴが終わって楽屋から外を覗いたら沢山のファンが居たから、下に降りて全員にサインしてたんだ。遅れて済まない」と。いやいや、何時間でも待ちますよ、ジョー💦💦。ジョーの人柄にあらためて感動。
その日のセットリストはこれ。

Police and Thievesが急きょ加えられたのか、手書きの文字。ジョーの字じゃないかな。この日の森山さんとの対談のことは、また改めて書きたいと思います。死ぬほど感動したのは、「クラッシュの頃、俺たちは本気で世界を変えられると信じていた〜"We could change the world“」とジョーが言ったこと。これぞ、パンク・スピリットだと思った。

それから一年。2002年9月、ジョーは福岡に帰って来てくれました。第一回目のMUSIC CITY TENJINに出演してくれたのです。これはその時のセットリストです。

まさか、この3ヶ月後に亡くなるなんて…

ジョーには名言が多い。特に好きなのはこれ。

月に手を伸ばせ、たとえ届かなくても


トライすらできないヤツが、やっている人間に何を言えるって言うんだ?

I still miss you, Joe!!

my note #154

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