東京六大学野球(ベーゴマ考24)
「丸六⇒角六変遷(東京六大学野球)」
角六というベーゴマがある
みんなその名前から
何となく六角形だとおもっているが、
角六は八角形だ。
角六という名前は
角が元々ついた、東京六大学野球ベーゴマである。
というわけで
葛飾コレクションの最後の大モノ
六大学野球ベーゴマの整理に着手した。
まず、
丸六
角六
にわけ、
角六は、現行品のサイズのものと赤中サイズにわけた。
問題は丸六だ……。
表記の形状から
戦前(昭和初期頃)
戦前(戦争直前)
戦後から現行品
にわける
歴史的に、角六より丸六がふるい
丸六と呼ばれるベーゴマは
ベーゴマの歴史を紐解く、重要な鍵となる。
バイゴマの時は
貝の形状を維持していたため、
当然丸い。
その後、
「おちょこべー」の時はまだ丸い。
その後に出てきたのが、当時大流行していた「東京六大学野球ベーゴマ」である
つまり
慶應(K)
早稲田(W)
明治(M)
法政(H)
立教(R)
東大(T)
の六表記をベーゴマのデザインとした
「丸六」の誕生である。
東京六大学野球の起源は明治36年(1903年)に始まった早大対慶大の対抗戦、いわゆる早慶戦で、その後、大正3年に明大、6年に法大、10年に立大、そして14年(1925年)に東大が加わり、現在のような六大学によるリーグ戦が行なわれるようになった。
1930(昭和5)年ごろの東京六大学野球をみると、
当時は早稲田大学・慶応義塾の対抗戦「早慶戦」の人気が爆発。早慶戦の人気に引っ張られる形で他カードにも多数の観客が入っており、東京六大学野球の人気過熱を原因に球場が拡張されたほどでした。
当時はプロ野球黎明期で、大衆も「見せ物として野球に取り組む卑(いや)しいプロと、スポーツとして野球に取り組む純真な大学生」という認識を持ち、戦前のプロ野球には選手が集まらず、野球技術も伸びません。当然ながら人気も出ない一方で、六大学野球は高校野球界のスターが勢ぞろいしていたため人気があった。
ベーゴマとしては、
六大学野球ベーゴマは
野球選手ベーゴマ
レスラーベーゴマ
相撲ベーゴマ
よりも歴史がふるい。
東京側の大学なので
当然、関東で作られたものであろう。
戦前のブームを考えると
昭和一桁から戦前くらいに一気に広まったと考えられる。
選別していると
古いと思われる「丸六」のなかに
角を削って加工したものがある。
これが歴史の1ページ
子どもたちは独自の工夫として、
丸六の側面を削り、平面を作ることで、
相手を飛ばしやすい事に気づいた。
これは同じ頃ブームだった
サクラべーの花びらの縁を削り強くしたことに通じる
これを製造元が知り
もともとの鋳造の段階で
角がついているものができた
「角六」の誕生である
こうして
貝の形から
おちょこべーになり
丸六ができて
角六ができた。
そして、
様々なヒーローがベーゴマの表面を彩る。
加工して角がついた、昔の丸六を見ると
昭和の初めにどうやって
工夫して勝てるかを考えた
子どもたちの逞しさを感じる。
※昭和初期とおもわれる六大学野球べーのなかで東大のTだけ極端に数が少ない……。
1番最後に加入したことで人気なかったのかな。しかし関西人には縁遠いけど、東京六大学こそ文武両道だなぁ。
関関同立産近甲龍べーとかないんかな……売れんかw
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