のらくろとチョコバイと鉄兜(ベーゴマ考108)
のらくろ
日本玩具博物館の収蔵には幻と呼ばれる
「のらくろ」も2ヶ含まれていた。
以前の写真では一つしか確認できていなかったため、オカメの鋳造ミスと思っていたものはうしろに「のらくろ」がかぶっていたと思われる。
また、力士やオカメは回転面に顔があるため、当時や時代を経て顔が加工されることが多々あるため、加工していないものが貴重であるが、のらくろは今のベーゴマと同じで上部に顔があるため、顔が加工されていないことは多い。
日本玩具博物館の「のらくろ」さんたち。
のらくろの比較
07 29.2×27.0×15.3㎜
08 27.1×26.4×16.7㎜ ※
左右で形が若干異なる気がする
が、鋳造の時の誤差なのか微妙でもある。
気持ち、ひとつは
寄り目な気がする
そう考えると、私の「のらくろ」は保存状態は決して悪くない
岡本さんのものは、ほぼ崩れていないことから、かなり初期の鋳造と思われる
雑誌連載版:少年倶楽部1931年(昭和6年)1月号 - 1941年(昭和16年)10月号
タイトルは連載開始時が「のらくろ二等卒」が一番初めなので、のらくろベーはこのころより後に作られたことがわかる。
感覚ではあるが、オークションにでてくるものをずっとみていて、面バイ全体の数からいうと
鉄兜→力士→オカメ→チョコベエ→
ひょっとこ→のらくろ→狗→鬼
の順で上に行くほど確認数が多い。
戦争によってすでに
なくなったものもあると思うが、
オークションで出る数をみても
そもそもの鋳造数が狗や鬼は少ないと思われる。
力士、オカメの時代は
貝独楽からの過渡期で、
まだ量が作れたかもしれないが
のらくろと後ろに肉弾三勇士をいれた「狗」などは
戦意高揚のために作られていると考えると
金属がなくなるまでの短い時期かもしれない。
「のらくろ」は八角形である。現在の角六などは8角がきほんであるが、この後の戦前戦後に関西で作られるのは六角形か七角形。裏側は同心円であり、貝殻の名残の溝ではない。のらくろは関西で面バイと一緒に出てくることが多いので、関西で鋳造されたと考えられるが、
画数の変遷の理由などは、また別で考えてみたい。
チョコバイ
日本玩具博物館から来た資料に「チョコバイ」
と記載があった。
私は何回かであってい
仮に「潰れ顔」と表記していた。
この「チョコバイ」と言う名称であるが
20年以上前、関西在住の型が
日本玩具博物館に寄贈したようで、お父様から譲り受けたもののようだ。
その寄贈者が「チョコバイ」と言っていたらしい。
詳細は不明であるが、こどもの集団で呼んでいた通称かもしれない。
バイはバイゴマのバイなので
「チョコ」はなにを指しているのだろうか
ちなみに我が故郷富山弁では
「チョコバイ」と言う言葉は「くすぐったい」と言う意味になる。
しかし、笑った顔ではあるが富山弁が出てくる意味はありえない。
「チョコれーと」を食べた時の顔
というのも少し考えづらい。
関西で製造されたとした場合、
その方言が影響しているとかんがえると
一つの推論として
「ちっこいバイ(ちいさなベーゴマ)」が
なまって
チョコバイとなったのではないだろうか。
このベーゴマが出てきた時には
すでに「鉄バイ」は関西ででていて、
それに比べて「ちいさい」と言う意味で呼んでいたのではないだろうか
また、日本玩具博物館のものは金平糖状をしている。もともとの加工でこの形はほぼあり得ない。加工されていると思われる
そしてなんと先端は
「ハリケツ」加工してあるのだ。
面バイは昭和初期戦前のものであるが、
このハリケツが果たして当時の子か
それを受け継いだ戦後の子が加工したかは不明である。
しかし、戦前のベーゴマのハリケツ加工は
今まで数千個を見てきたベーゴマの中で見たことがない。
ハリケツの加工の際に縁を削り
金平糖型にけずったのであれば
イメージとしてはこのバイができたよりあとの
桜ベー時代に加工されたのではないだろうか
裏面をみると、お分かりだろうか
「のらくろ」と同じ同心円の刻みがある。
これは同じ鋳造所で作られたものを意味し、また下型を「のらくろ」と共有し上型だけ変えていた可能性が高い。
このチョコバイは
愛媛の岡本さんのとこでも見ている。
これらも顔が違うのがわかる。
いままで数回オークションで出品されたが
縁がなく私はもっていない。
これももっと違う顔があると思われる
鉄兜
面バイとしては
もう一つの流れである「鉄兜」
裏面はポッチがあり、ひっくり返すと
旧日本陸軍の鉄兜にそっくりである。
この「鉄兜」には上側に顔がある
この「顔」実はこちらも数種類ある。
これが
みんな怒ってるんだが
なんだか丸い顔しとるので
愉快な顔にもみえるのだ。
③は明らかにことなるため
複数の顔の型があったことは確かであるが
他はなんともいえない
おなじといえば同じで
元型の擦れ具合により
新しいものははっきりしているし、
何度も作れば作るほど
型は擦れてくずれていく。
表面を大きく加工したとはあまり思えないので
完成したものに誤差があったともいえる。
また、ずっと見ているが
「鉄兜」の鋳造方法がわからない
上型下型りょうほうがあったはずだし、
そうなると湯道がつながる「バリ」があるはずなのにない。
丸いおちょこベーや
その他の戦前のバイも「バリ」があるため
「鉄兜」もつながってできていたはずだ。
現段階で唯一考えられるのは
丁寧に湯道からはずして、一つづつ
削り、バリを無くしている可能性だ。
鉄兜のディテールに近づけるためなのか
しかしながら鋳造業は目方(重さ)が全てである
一つ売れてもたいした儲けにならないバイゴマに
そこまでの手をかける理由が見当たらない。
もうしばらく、
いろんな「鉄兜」のお顔とにらめっこしないと
謎は解けないのかもしれない。