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井出先生の川口ベーゴマ探究記②(ベーゴマ考93)

モールディングマシンと金型

・川口では、昭和30年代に、モールディングマシンが導入された。
プレート型(F1)鋳造と呼ばれる方法で
コストパフォーマンスに優れた鋳造法のようだ。
F1と呼ばれるプレート状の木型で上型・下型共に造形できる
・この鋳造方法及びモールディングマシンの導入により、金枠+金型で大量生産が可能になった。

モールディングマシンってなんや?
って調べてたら
川口の大野軽合金さんのホームページがわかりやすかった為、転載させていただきます。
(快く承諾いただきありがとうございます!)

モールディングマシンというものを、使用することでプレス(圧)を加えることで砂を固め、鋳造していきます。…つまり圧をかけて砂型を作る機械ということやね。

この鋳造法の特徴として
・少数の生産が可能。 
・簡単な形状から、小物向き。
・比較的安価な型費、立ち上げスピードが速い
とされているようで
型交換の段取り時間が短く、多種生産または中小ロット対応に向いているとのこと。

造形工程

①下型に砂を入れ固める
②型を反転させ、上枠に砂を入れ固める
③機械を使用し、プレスしてしっかりと固める
④型から枠を抜く
⑤余分な砂を落とし、湯口を確認する
⑥上型、下型を合わせ並べていく
⑦注湯

で、冷えたのを確認し、ばらす

こんな感じ。大野軽金属さんは
アルミ鋳造だが、 基本はベーゴマも同じ工程であろう。

かつて、徳島のベーゴマを調べている時に
見学させてもらった鋳造所で
関西のベーゴマ型をみてもらったとき
開口一番
「うわぁ。これこれ、むっちゃめんどくさいねん。この型」
※ほんまは関西弁じゃないはず
といわれた。

関東ももともとは
こういった葡萄の房のような型だったと思われる。

昭和30年代にモールディングマシン導入。
1955年から1965年
この頃はベーゴマ全盛期でもある。
巨人のv9が1965年からなので
長嶋⭐︎王を作り出す頃にはきっと…
「うわぁーモールディングマシンやべぇ。ばりはやいやん!ずれへんし!!」
ってなったんだろなぁ。

このシステムの導入で、型にはめ写真で言うとこの🏠みたいな軸に合わせることで、劇的にズレが少なくなったと素人の感覚でもわかる。

その際に、このモールディングマシンのズレない特性を活かして型は関西の葡萄型から
ベーゴマを並列に並べる方法をあみだしたのではないか。湯が流れるぎりぎりの厚さを計算して

これ考えた人天才的発想や。

…ん?
ということは

昭和30年代より前
機械が導入される前の関東のベーゴマは
「バリ」が小さいはずだ。

きっと1950年の金星スターズや太陽ロビンスは
「バリ」がちいさい。
そして、東京6大学の古いタイプもだから
「バリ」がちいさい。

んー。バリが小さいと関西で作られたバイという説が崩れたな

もしかしたら
関東にも鉄の元型が存在するのかもしれん。
溶かされてなければ…。

幻や。

鋳物屋がヒマになると、ベーゴマが流行る

という言葉があるそうだ。

昔、鋳物職人は給料制ではなく、鋳造した製品の重さで金額が決まった。
不景気で仕事がなくて職人がヒマになったときは、ベーゴマを鋳造していた。

これが、工場側が職人に鋳造させていたのか、職人が自主的につくっていたのかは不明。
せいぜい小遣い稼ぎにしかならなかったはずだが、ないよりはマシ。



これは。確実にわかる。
日本金属玩具史という本によると
確実に、さまざまな戦争が鋳物屋の景気の背景にある。

つまり
戦時中はさまざまな金属の需要が高まり
儲かるわけだ。
それを考えると
日露戦争の後、第二次世界大戦の後
これら双方ともにベーゴマが流行している。
(敗戦後は鉄の玩具であるベーゴマは狭いとこでもできて、壊れない故に重宝されたとも考えられる)
裏を返すと、子どもの玩具である小さなお金にもならんベーゴマの製造に鋳物屋が手を出さないといけんくらいに、仕事がないと言うことでもある。

ちなみに
第一次世界大戦の際には
金属玩具の輸出量が大きかったドイツが
輸出しなくなったため、
日本製の金属玩具の輸出量が跳ねている。

ということは
「鋳物屋が暇になるとベーゴマが流行る」
のは製造側の意図的な流行への仕掛け、つまりあたらしい型をたくさん作ること
今で言う新モデルの製造があったかもしれない。

金型の枚数問題

日三鋳造所でいま持っている金型の枚数は、30枚を超える。
同じ型を複数枚もっているので、種類で言えば10数枚だろう、数えたことないけど…という話でした。

日三鋳造所のホームページにある古くからある
種類だけで九種類、あるとしたらこのほかに干支シリーズをくわえて10種くらいかな。


ちなみに、買い湯でベーゴマを鋳造することは考えにくいそうです。
やはり金型を持っていないと作れないので、これが高いからホイホイ作れるもんじゃない。

木型の時代については、わからない。
…これは前回のオリジナルベーゴマを作っていた話を聞いて、郷土資料館でオリジナルベーゴマづくりイベントができたら面白いなぁと井出先生と話していたことから聞いてもらったのだ。
「買い湯」とは
昔の個人の鋳物職人のように、砂型はこちらで作って大手の工場から溶けた金属を買ってきて鋳造する手法だ。

やはりむずいのか…
融点が低い鉛とかでしかできんかなぁ。
それとも
Kさんみたいにアルミ鋳造するかやなぁ。

製造品目一覧の見方

工場の製造品目一覧で探す場合、「玩具」を探すとよい。
ただ、前出のとおり、金額が少なすぎて記録にも残らないことが多いと思われる。

…これは残らん。 
昭和玩具史をみても
製造品目ではなかなかぴんとこん。
玩具にもいろいろあって
紙製
木製
金属製などその手法もさまざまだ。

あえて言うなら
金属玩具の中にはいるが
アンチモニーやブリキのおもちゃも入ってくるのでその数値にベーゴマが入っとるかと言うと謎だ。

戦争中のガラスのベーゴマや陶器が
どうやって作られたかがその経緯がきになるところや。


木型&手込めのやり方

はて、機械化されて楽になったのは
わかったのだが
もともとの金属型の時はどうやって作っていたのだろう。
鋳物屋が口を揃えて
「懐かしい」と
「めんどくさい」が並ぶ手法
そして、関西では機械化まで行くメリットを感じられなかったため、そのままで作られていた方法

井出先生が辻井社長から
聞き取りして
イラストに起こしてくれた。
…なんでもできるな井出先生!!

すげえめんどくさい。
すげえ井出先生
しかしすげえめんどくさい。
しかしすげえ井出先生


やり方がわかってしまって
関西の型もってるんやから
一回作って見なあかんのちゃうかな…

川口にいたらできそうな気がする
児童館でやったら怒られると思う。
誰かにw

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