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ボクシングべーの謎を追え(ベーゴマ考82)

一見して
大型のサンガンべー
しかも現行型で、同じようなタイプには
プロレスラーが多いため
間違われるが
様々な表記のベーゴマの中に
1人だけ「ボクサー」がいる。

その男。パスカル・ペレスという。


パスカル・ペレス

パスカル・ニコラス・ペレス(Pascual Nicolás Perez、1926年3月4日 - 1977年1月22日)は、アルゼンチン・メンドーサ州出身の男性プロボクサー。
世界フライ級王座を9度防衛した。
戦歴
1948年、ロンドンオリンピックフライ級で金メダルを獲得。
1952年、鳴り物入りでプロデビュー。以来白井戦まで23戦連続勝利を記録する。

生涯戦績
全試合数92
勝ち84(内KO勝ち57)
敗け7
引き分け1


白井義男伝説

ペレスを語るうえで
欠かせない人がいる。

日本のボクシング史で
一番初めにでてくる。白井義男だ。
白井選手は
日本で初めて世界チャンピオンになった人である。

白井 義男(しらい よしお、1923年〈大正12年〉11月23日 - 2003年〈平成15年〉12月26日)は、日本の元プロボクサー。東京市(現東京都)荒川区出身。元世界フライ級王者である。
1952年にダド・マリノ(アメリカ)との世界タイトルマッチに勝利し王座を獲得。以後4度の防衛を果たした。敗戦に打ちひしがれた日本人にとって、白井の王者獲得とその後の防衛での活躍は"希望の光"となった。日本人として初めての世界王者となった。

総試合数58
勝ち48(内KO勝ち20)
敗け8
引き分け2

当時のスーパーヒーローに違いないのに
「白井」というベーゴマは確認していない。
なんで、白井じゃなくて「ぺレス」なんやろ

驚異の視聴率


そんな白井が負けてタイトルを落としたのが
今回のベーゴマのひと「ペレス」

調べてみると、
白井とペレスは3戦している
①1954年7月24日、アルゼンチンにて対戦
引き分け
②1954年11月25日、日本・後楽園球場特設リング 白井が持つ世界フライ級王座に挑戦。判定の末ペレスが勝利し王座獲得。
③1955年5月30日、日本・後楽園球場 5RKO 初防衛。

③の白井のリベンジマッチは
何と視聴率が96.1%・・・・・・ほんまか??
そんなことあるんか??

ほんまやwww
電話調べで100人にかけたら96人とワンコがこの世紀の試合を見ていたということだな。
なにがごっついって、その後のぺレスの試合は
4年たっているのに 米倉戦 88%
矢尾板戦 92.3%(犬と猫ときんぎょ)
これは「ぺレス」の人気に他ならない。

すごいぞ「ぺレス」

この視聴率の1.2.3を見せつけられると
当時なんでプロレス勢の中で一人だけボクシングが入ったのかわかる気がする。

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