「石版東京圖繪」にみるベーゴマ(ベーゴマ考101)
バイゴマが
各時代の各地域において
どのように子どもたちの中で根付いていたか
それは
その時代の文献などから
読み解くしかない。
そんななか
様々な文献に明治期における
東京のベーゴマの様子をよく表している
といわれるものが
今回紹介する
「石版東京圖繪」である。
石版東京圖繪
石版東京圖繪は永井龍男氏による長編小説。 1967年(昭和42)1月から6月にかけて『毎日新聞』に連載、同年12月中央公論社刊。 2人の少年の成長を追いながら、明治末から大正の時代にかけての東京の下町と、そこに住む職人の姿とを描き出した作。
小説でありながら、子どもたちの身近な駄菓子屋さんやベーゴマ遊びの様子が実に細かくえがかれている。
振り出し(18ページ)
ベエ独楽とか、メンコとか、子供達の遊びにも旬のようなものがあって、二つの遊びが同時に横丁ではやるということはめったになかったが、私達がベエ独楽に夢中になっているうちに、ふとその群れの脇に見馴れぬ子を見つけ、それがさっきの孤児院の中の一人だったのに気づいたこともある。その子は、ずいぶん長い間そこにいて、私達の遊びを見ていた。
…明治の様子を思い起こさせるエピソードの中で
日清日露戦争の傷病兵がいる「廃兵院」や孤児院の子どもたちが、粗悪な樟脳や鉛筆を売りにくるシーンのラストである。
このシーン一つからも孤児院の子どもたちにとって、町周りが仕事であり、遊ぶ一般の子どもたちが羨ましかったのがわかる。
抜け裏(抜け道、裏道)69ページ
ベエ独楽の季節
招魂祭が終わり十一月に入ると、にわかにベエ独楽の季節になった。
誰が云い出すとなく、放課後の時刻には五番地の駄菓子屋の前に集り、日没まで勝負に熱中す
る。
…このころはすでに貝独楽から金属化されていた。
貝独楽はバイ貝が取れる晩秋の後に加工され出回るもののため、10月末から11月がシーズンとされ、季語にもなっている。
ここでは、金属化されても尚、このシーズンが流行時期だったことを物語る。
オチョコベーと大阪ベエ
ベェ独楽はバイのなまったものだと云うが、鋳物物の小さい独楽で、中に金や銀や、青や赤の粗末な塗りがしてある。ベエ独楽にも二種類あって、お猪口の形をしたのに人気があり、中身まで鉄の詰った重い方は、大阪ベエといって勝負にはほとんど使われなかった。
…中に鉛や様々なものを詰めていた上方側はその形を引き継ぎ鉄バイとなり、空バイが主だった関東はオチョコベーとなった。空バイだけではそこまで回らなかったはずだから、関東側のこどもたちからすると、鋳物製のおちょこベーの出現は驚きしかなかったであろう。
この文面より、関西からも鉄バイが関東に入っていたことがわかる。
重さの兼ね合いから同等にするため、作者の地元では重い関西のバイは嫌悪されたのであろう。
私が持っているオチョコベーもうっすら赤い塗料が見える。クレヨンでも自分で溶かし入れたかとおもっていたが、文面からはじめから色があった可能性がわかる。
床の形状
メンコや鉛メンコや、あるいは石けりの勝負と違って、ベエの勝負は真剣であった。一種賭場がかった雰囲気があって、勝負の規則はきびしく守られ、子供達ばかりではなく、八百屋魚屋酒屋の、十七八の小僧まで加わることがあった。
ござ古畳、藺(藺草)で作った夏座蒲団の古いのなどはことに都合がよく、それをあき樽とか、バケツ洗面器の上にかぶせ、霧を吹いたりして表面に適度のくぼみを作る。
子供達はこれを、トコと呼んだ。
…表面の布はまだハンプではなく、ゴザだが丸床の流れが見える
基本ルール
トコを丸く囲んで、四方からこの中にベエ独楽をまわして投じ、弾き出されたもの、回転を失って伏さったものは負、最後までトコに残った独楽の勝利になるが、残っても回転を失えば勝負
は無しになってしまう。
独楽の回転力を、リキと云った。
…勝負の基本的な要素と、リキの呼び方も同じ
勝負の人数
リキのよいまわし方をするのが上手で、二人で戦う時には、「ニンガラ」とかけ声をして、投じ込む調子を合わせ、三人ならば「三ンガラ」、多勢になると「ヒイフノ」と声を合わせてから、ーせいにカー杯腕を振った。
…このへんは、地域によって投げ入れる掛け声は異なる。3人以上の戦いを記録している資料は少ない。
巻き
子供達は、独楽を巻く細い紐を、一々口で湿して使った。巻きよいように、たんこぶを二つ作ってある紐は、その度に塩からい味がし、土や秘が口に残った。
…この文面から女巻きということがわかる。
一銭玩具
駄菓子屋では、新しいベエは二個一銭、古いベエは三個一銭で売っていた。そして、瞬ったべエを持って行くと、五個一銭で買い取る。子供達ばかりではなく、その辺の小僧達がまじるのも、勝負以外にそんな余得があるからで、トコを囲むと殺気立った気分が生じた。
…当時の値段がわかるありがたい一文、一銭は現在の価値で約200円です。これは、明治38年に東京銀座・木村屋総本店で販売されていた「あんパン」が1個1銭だったことに由来しています。ということはベーゴマ一つ100円くらい。
加工
べェ独楽は、焼くと強くなるといって、遊火にくべるようなこともしたし、病院の煉瓦塀でこすって、ふちに角をつける者もあった。
…ここにはすでに丸型バイに焼きや角をつけるなどの加工を子どもたちは施していたことがわかる。
まとめ
物語ではあるが
当時の社会情勢やこどもたちの気持ちの動き
などからも明治末のようすを知る上で大きな資料であり、数少ない明治期の東京のベーゴマの様子を知ることができるものであろう。