ベーゴマの神様「なぎらさん」の話(ベーゴマ考64)
拝啓なぎらさん。一度お会いしてベーゴマ対談したいです。
なぎら健壱さん
ベーゴマ界有数のコレクターであり
ベーゴマ界のなかでは私の中で
辻井社長と中島さん、ザビエルさんに並ぶ有名人
いつかほんまに会ってベーゴマの歴史対談したい。
なぎらさんはこのDVDにもでてる
ベーゴマ削ってはる
そして、こち亀にもでてくる
ベーゴマやってる人なら
なんとなくなぎらさんがベーゴマ好きなのはしってるわけだ
下町小僧
そんななぎらさんは
「東京昭和30年 下町小僧」
という本を1988年にかいてはる
前書きに
そのとき僕は、僕の時代での下町を、何かに書き残しておかなければ、と思った。
下町はビルの中に埋まり、下町とは名ばかりの街に変貌しつつある。いや、変貌してしまった。
我々が自分の育った以前の、良き東京を知らないように、今の子供達が自分の土地を思い出すとき語られるのは、今の街であって、決して我々の頃の町ではない。昭和30年代の東京下町に育ってきた僕達が、本当の東京下町を知っている、最後の人ではなかろうか。そういった意味で、僕の育った昭和30年の下町のことと、その当時の思い出を少々と思いましてね。
とある。
生まれた銀座の話
・おもちゃの三種の神器
・ミートソースやコーラの話
・給食
・貸本屋
・駄菓子屋
・子どもの賭け事
・銀玉鉄砲
・2B弾
・カタ屋
・ブラウン管のヒーロー達
など、おさないころの下町の情景が浮かぶくらい
一つづつのエピソードが面白い
子供の賭け事の項には
ベーゴマ・メンコ・ビー玉の思い出が書いてある
そのへんから
なぎらさんの地域のベーゴマのことについて書き出してみよう。
名称
ベーゴマの名称・べー、ガン、コツ
これらは、加工した形をいってはるのか
それとも、赤中、ペチャ、サンガンなどの地域名なのかが不明。
床
床はこの絵を見る限り、丸床である。
湿らせて中央を窪ませるところなどは
ほぼ現在の関東型とおなじである。
(口に水含んでブー!は今はやらんやろけど)
ばけつや漬物桶に
畳面、テント用の帆布、ゴム引きシート(ビニール引きシート)
とある。
畳面の下に
使い古した座布団を引くという記述が面白い。
煎餅みたいなやつや
ゴム引きシートとは
布の表面をゴム加工して防水したもののようだ
トラックの幌とかにつかわれたようである。
古今東西、
ベーゴマの床の上は
地域において、手に入れやすかったもので行われている。
古くなった
ゴザや畳面は明治大正からつかわれた。
四角の床は「U」字型に置き、
両側から1対1で対戦する
戦後くらいに
トラックやテントのお古のシートが手に入りやすかったのか、帆布などが出てくる
なぎらさんのころでは
関東は丸床がオーソドックスになっていたのであろう。
角床より、複数名で囲むことができ、
四方八方に飛ぶので
角付けなど戦略的な面からしても
丸床の面白さが広がっていったとおもわれる
技
つっけん、ツンケン…床のスロープを利用して相手の手前に入れて弾き出す
カッチャグリ、ガッチャ…床にベーゴマを入れる時、自分のこまを相手のコマに勢いよくあてて、ぶっ飛ばす。
チョウセンガッチャ…コマを縦に投げて相手にあてる自分が回ることをはじめから考えない戦法。(禁止されてた)
ツッカケ…紐を緩く巻き、投げ入れたその紐で相手のコマを引っ掛けて床から出す。(地域によって禁止)
巻き
紐にコブを作って、それに引っかけて巻くのだが、そのコブの作り方が二種ある。コブを並べて二つ作る女巻き。 離して作る男巻きがそれである。通称オマンコ巻き、オチンコ巻きと言った。
どちらかというと男巻きの方が難しく、通とされているのは、その巻き方が出来る人物であった。
ほお回し方も普通のコマとは違い、内側に抛るように回すのではなく、外に向けて引くように回す。したがって紐の巻き方が、普通のコマと逆になる。そしてこの引きが強いほど、ベーゴマは勢い良く回ることになる。
ここでは
現在の男巻きと女巻きについてふれている。
女巻きの方が巻きやすいのは
確かにそうで、それも現在と一緒であろう
絶対的エース「シンショウガン」
シンショウガン
…竹の先にベーゴマを付けて、それをコンクリーの地面や、塀でこすり、シンショウガン(底の中心にとんがりがきたベーゴマで、ブレが少ない)を作り出した。
※「シンショウガン」という言葉は、1番とられて欲しくない絶対的自分のエースをさす
削り
…町工場の子供は家のグラインダー(通称『金剛砂』)などで、いとも容易くそれを作り、みんなから羨望の眼で見られていた。ヤスリやグラインダーでフチを直角や花形にしたり、角度を付けたり削る方法も良く使われた。
ブルガン・シリマル
…かたく他には底をわざわざ平にして、トコの中で震えるような動きをする
ハリケツ
…底を針のようにとがらせ、トコに刺さり動かなくする。
色塗りと重さの増加
…クレヨンで字の部分に色を塗ったり、ロウを垂らしたり、鉛を流し込む者までいた。
定期的に聞く伝説
…土に埋めて錆びらせると重くなり、強くなるという誠しやかな噂が流れたこともあり、みんな隠し場所を悟られないように、何処となくベーゴマを土に埋めていた。
※いまだにどっかに埋まってるんじゃないだろうか。錆びることで紐の引っ掛かりが増して、強いということはあり得るような気がする
けど、なんこかもっているものも、錆びすぎて文字が不明なものがあるので困る
ダッチャン(多様サイズのベーゴマ加工)
…普通ベーゴマは一つ五円であった。ところがダッチャンと呼ばれる十円ベーもあり、このベーゴマのフチを削って、五円ベーと同じ大きさにしたものは、重く肉厚で文句なく強さを発揮した。ところがそうした、負けるはずのないシンショウガンや、ダッチャンベーも、何らかの拍子に負けることがあった。その瞬間それは勝った者の手に渡る。今まで自分の大将だったベーゴマは、一瞬の内に敵の一大戦力となり、こちらを悩ませることになる。
取り戻すためのルール
…そんな場合には、それと同格のベーゴマを差し出し取り替えてもらうか、幾つかのベーゴマと取り替えてもらうしか手がなかった。それでも取り替えてくれるのは良い方で、中には頑なにそれを拒む者もいた。その場合には、それに勝って取り返すしか手はなかった。だがさすがに強い、取り返すのは至難の技に近いものがあった。
中古ベーの、駄菓子屋買取事例
…ベーゴマには五円ベーと、十円ベーがあったことは先に書いたが、通常の五円ベーの中にも、何種類かあった。俗にいう、ペチャ、チュウタカ、タカがそれである。
時代と地域により、ベーゴマを駄菓子屋に持って行くと、買ってもらえたことがあった。それを考えてもこのベーゴマ遊びが、ただの遊びではなく、より、ばくちの要素を持ったものだったということが解る。
イラストにある伝説
線路で研ぐ
…市電の線路で研いだり、他の文献は明治大学のレンガでといだとかいてあった
自作の鉛ベー
…こち亀でも紹介されるなまりべー
私もこち亀でみて、大学時代に美術室で量産し、鉛中毒でたおれたw
竹の先にはさんで加工
…これもなんとなくしってる。けどイラストでみたのははじめて
メッキのベーゴマ
…メッキや蒸着で加工されたのは、いただいた3000個のときにもきいている
こまやかに
なぎらさんの文面や
イラストから
当時のベーゴマを取り巻く様子がみてとれる
いってんだけ、
ベーゴマに関しては関東であろう
というとこだけは間違い
そのころ(昭和30年ごろ)に
大ブームだったのはたしかに関東。
もっとさきに
関西でもベーゴマ文化はあったのだ
やっぱり文面として
しっかり残すことは必要。
もっともっとしらべていこう!!
ほんまにいつのひか
なぎらさんとベーゴマ談義させていただきたい。
その日まで。
もっと勉強する!
なぎら健壱(なぎら・けんいち)
1952年4月、東京・銀座で生まれる。70年に中津川フォーク・ジャンボリーに「怪盗ゴールデンバット」という歌で登場、七二年にはファーストアルバム「万年床」(ビクターレコード)を発表。以後、アルバム制作、映画やテレビ、ラジオで活躍。趣味は書道(カンテイ流)、天文観測、プロレス評論、エロ風俗評論、酒など多岐にわたる。主な著書に、「流れ者の幸福」(KKベストセラーズ)、「東京酒場漂流記」(CBSソニー出版)などがある。