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絵本御伽品鏡(1730)から読み解くベーゴマ(ベーゴマ考115)

絵本御伽品鏡とは

享保15(1730)年に大阪で刊行された
『絵本御伽品鏡』は
狂歌絵本とよばれるジャンルの本で
狂歌師鯛屋貞柳の作による狂歌本で、大阪の絵師、長谷川光信が、大坂の風俗を題材として主に小商人、その多くは店舗を持たない道売りの商人や大道芸人などの挿絵を描いていて、当時の大阪の風俗を知る上でも重要な資料になっている。

有名な絵…の上のやつ

そのなかに、「貝まわし」があるのだ

ばいまわしの挿絵は
盥(たらい)の上に茣蓙(ござ)を置いて土俵を作り、その上で2人の子どもがバイ貝のコマを回す様子が描かれています。
その後ろには貝独楽を加工し、バランスを取るためバイ貝のてっぺんを研ぎ調整する職人と出来上がりを待つこどもが描かれている。


井出先生にきいた。
この唄ってなんて書いてあるんですかね?

貝まわし

子供ら
暫く…
貝まわし…

だめだこりゃ。全然わからんw

狂歌を読み解く

というわけで、井出先生を通じて
必殺、学芸員さん召喚

先の夜さ
御寝ならざる
子ども衆が
漸くこさて
貝まはしする

さきのよさ
ぎょしんならざる
こどもしゅ(う)が
しばらくこさ(え)て
ばいまはしする 


狂歌とは
5・7・5・7・7の定型にのせて日常の出来事を詠じたり、社会風刺を行ったりする和歌のことです。 遊び心を重視し、古典のもじりや洒落を効かせるものだ。

学芸員さんと井出先生が話し合った結果少しづつ意味がみえてくる

「先の夜さ」…さきのよさ
「さ」の文字は「を」とも読めるそうです
クセが強すぎて、判別が難しいようだ
「先の夜さ」「先の夜を」
どちらかだが、どちらであってもあまり意味は変わらない。
これが「昨日の夜」や、転じて「毎晩」みたいなニュアンスで、「夜更かしする悪い子ら」ということを表すのか、それとも江戸時代に大好きな言葉遊びで、何かを掛けているのか。

「御寝ならざる」…ねない
「御寝」ということばについている「御」
これは尊敬語にちかく、身分の高い人の行動につけるものだ。ただの子どもなら、「寝ない子が」になるそうではないところが不自然だという学芸員さんの見解。
あえて「御」をつけた意図があるということだ。
井出先生が調べると
京都御所に「御寝の間」があることなどに気づきはった。
ということは、「先の夜」が「先の世」と掛け言葉になっていて「前世」を表し、手前の2人の子どもが誰か尊い方のイメージなのかも。もしくは、何か物語とか芝居の内容を思い起こせるものか。

子ども衆がこどもしゅうが
これは「こどもたちが」という意味

「漸くこさて」…しばらくこさ(え)て
「しばらく」は、今と同じ時間の経過を表す言葉で、つまり「時間をかけてバイゴマをこさえてもらって(もしくはこさえて)」=時間をかけて準備して、作ってもらって(もしくは自分でつくって)」

貝まわしする…ばいまわしする
=べーごまをまわす


この絵の2人は誰なのか

狂歌は社会風刺、古典のもじりや洒落をきかす。

これだけ聞いて
この挿絵のプレイヤー2人が誰を指しているかを言い当てることができるのは
多分今日本に私と井出先生しかいない。
それか、今この文を読んでいる
「あなた!」
私のnoteのかなりコアな読者だw

以前、嵐三十郎の歌舞伎の役者絵の歌舞伎の演目
である、「倭仮名在原景図」のときの
バイ回しをしている子どもたち2人
それは、伊勢物語の中の
都落ちする惟喬親王とその弟の京都を舞台とした政争を表現していた。
今回の「絵本御伽品鏡」は
その歌舞伎の演目ができる22年前に成立している。

御位争いの世界

江戸時代には
直接的につたえるのではなく、
皮肉混じりに間接的にさまざまなことを
揶揄する表現がある。

また、
『伊勢物語』は、少なくとも3回以上、70年以 上にわたって、増補されていった作品で960年ごろに完成したと思われる。
江戸時代の人々はとりわけ『伊勢物語』を愛好し、『伊勢物語』は版木を使った版本として印刷され、江戸時代のあいだ、合計すれば100種類以上も出版されましたが、そのほとんどは絵入りの版本だった。

つまり、伊勢物語は人々は誰しもが知っている
王道のストーリーであり、絵本御伽品鏡の
この狂歌とイラストをみると
当時の多くの町人が「御位争い」を想像し
バイ回しの盆を京都盆地に見立てて
戦った2人惟喬親王と惟仁親王を揶揄しているとイメージできたはずだ。(この狂歌本ではじめてこの揶揄を用いた可能性もある)


ここで復習

争いの当事者は文徳(もんとく)天皇の第一皇子維喬(これたか)親王と、第四皇子惟仁(これひと)親王。惟喬の母は紀名虎(きのなとら)の娘で、惟仁は藤原良房(ふじわらのよしふさ)娘でした。文徳天皇は聡明な惟喬を愛しましたが、政界の実力者良房の意向を無視できず、生後3ヶ月の惟仁を皇太子にします。のちに源氏の祖の清和天皇となります。

「御位争い」とは皇位継承争いのことで、
御位争いの世界」の代表的な芝居が
『倭仮名在原系図(やまとがなありわらけいず)』「伊勢物語の世界」に属する芝居。 

伊勢物語以降で
惟喬親王がでてくるお話を列記してみる

13世紀前半「平家物語」成立
1730に「絵本御伽品鏡」成立(狂歌本)
1744に「井筒業平河内通」成立(歌舞伎浄瑠璃)
1752に「倭仮名在原景図」成立(歌舞伎浄瑠璃)
1775に「競伊勢物語」成立(歌舞伎狂言)
1820に「時再興在原景図」成立(歌舞伎演目)

そうかんがえると
江戸時代に大衆化した「伊勢物語」につながる
「御位争い」の2人の話は
とても人気で題材にしやすいテーマであったと思われる。

絵本御伽品鏡でとりあげられた
狂歌と挿絵
先の夜は「先の世」にかけ
盆上のばいまわしは
惟喬親王と惟仁親王の「御位争い」に
見立てやすく
20年後
「倭仮名在原系図」の中で
そのまんまの形で採用されたと思われる。

もう少し深く考える

◼️服装から

では2人のどっちが惟喬親王で、どっちが惟仁親王なのか

あらためて「絵本御伽品鏡」のばいまわしをみると、左の子が先入していることがわかる。
また、二人を見比べると、左の子どもはより年長児に見える。
これは、京都盆地を表す「盆」の上を舞台に先にまわった惟喬親王をあらわす。

次に右の子の服装に注目したい

まず、内投げであることは、安定して床入れできるとおもわれる。(外れにくい)
そして、
2人の少年が盆を挟んで向かい合い、年上の少年 A が先にバイゴマを回している。 これは、『和漢三才図絵』(正徳2年(1712))に書かれた当時のルール 「先に入れる者を伊加(いか?)といい、後に入れる者を乃宇(のう?)という」 に従って勝負していると思われる。左の子よりも後入であることと、

着物の柄から彼は後の清和天皇である惟仁親王を表している。

彼の着物には
・宝珠
・鍵
・丁子
・隠れ笠
が見られる

https://kimono-pro.com/blog/?p=818

これは宝尽くし文【たからづくしもん】と呼ばれる
宝物を集めた文様で、
福徳を呼ぶ吉祥文様として晴れ着などに多く使われる。つまり神の加護をうけている。

この宝珠をあしらった着物はほかの
「御位争い」を表した、ばいまわしのシーンにもでてくる。

倭仮名在原景図
倭仮名在原景図

倭仮名在原景図の時には
忠実に「盆」にゴザをしいて、京都を模して
2人の百松と蔵吉のうち、惟仁にあたる蔵吉が
宝尽くしの着物を着ていることがわかる。


しかし、
それから70年たった「時再興在原景図」では

着物のメッセージが失われていたり、盆ではなく角床になっている。
70年を経て、江戸の家々の前に
なんらかのクズ箱(ゴミ箱)のような木箱が現れこの時代では、四角の床が関西ではメジャーになっていたと思われる。

◼️後ろの人は誰をさすか

先の夜
(前の世)
寝ない子どもがばいまわししている
(政争している朝廷の権力争い)
これが直接揶揄しないための
間接表現だとしたら

作ってもらったバイゴマは「天皇」の地位を表している。
今一度挿絵を見てみよう。

惟喬・惟仁親王の後ろには
バイ貝を削ってバイゴマを作っている職人がおり、それの完成をまっている童がいる。

ここまで、洒落をかけて
象徴を組み込んでいるため、実際にはこれらの人も誰かを表していると思われる。

この政争は藤原氏の支配を絶対化した出来事であるため、その天皇の地位(バイ貝)を加工する職人が藤原氏を表すか、権力者藤原良房なのか、それを進言した源信なのか

着物の柄にも意味がある、これが何を指しているのか
ただ、職人の前に完成したバイゴマが二つあり、後ろには未完というより、私には加工に失敗したバイ貝に見える。これもまた意味深である。


まとめ

井出先生がまとめてくれた

先の夜さ(を) → 前の世を (過去、前世)
御寝ならざる → 京都御所のほぼ中央に位置する御寝の間。ここで眠れるのは、 天皇になった者だけ。まだ政権争いの決着がついていないこと。
子ども衆が → 惟喬親王と惟仁親王に見立てた年齢の異なる2人の子どもたち
暫くこさ(え)て → 政権争いがしばらく続いたことか?
貝まはしする → 政権争い

藤原等にあたえてもらった地位を
京都を盆(床)にみたてて
惟喬親王は兄だから
基本は先に天皇になる道はきまってた
京都という盆のうえで先に回っている図が
絵本御伽品鏡の挿絵のシーンで

そこに安定がある
藤原の息がかかったバイを弟惟仁が後入れ(有利な)のかたちで
当時「盆」といわれていた床にいれる

ばいまわしという
悪童の遊びと
過去の政治的暗躍と政争をかけた
なので

先の夜(先の世)の物語

とてつもなく
よく考えられた狂歌に対応する絵である。

また、「絵本御伽品鏡」は享保15年(1730)大坂の書林・紀伊国屋宇兵衛から出版され、
現存するのは元文4年(1739)千草屋新右衛門から出版された後刷本
つまりかなり売れたからあと刷りがあったと考えると
当時多くの一般の人たちに受け入れられたのだろう。

発行から22年後
大衆に受け入れらえている、誰でも知っている伊勢物語に
御伽品鏡でも出てきたこのばいまわしのシーンを意図的に加え
倭仮名在原景図の中のワンシーンとして採用されたのではないだろうか。

そのため、倭仮名在原景図では、
このシーンがチラシポスターである絵つくしに採用された。
つまりもっとも大衆がこれは「伊勢物語・御位争い」を含めたストーリーだ
とイメージしやすかったのではないだろうか。


現在では
四段目にあたる、「蘭平(らんぺい)」という奴さんが中心になる場面しか残っておらず、
「蘭平物狂」というタイトルで上演され、もともとのメインの題材である
この三段目の飛脚仲二の住まいの場面は忘れられてしまった。

絵本御伽品鏡の時は、着物やベーゴマを先入れしていることなどもっともっと二人の親王の状況を表すことがたくさん表現されているが、浄瑠璃そして歌舞伎に変化する中で、そのなかの一部だけ(京都の盆・2人の戦い(落としあい))が残っていったのではないかと思われる。

私ですら、直接表現でなく、「ばいまわし」を用いたことで表現したことをうまいことするなぁ
とおもったのだから
当時の一般町人はうまいなぁと感嘆したことであろう。

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