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江戸時代のベーゴマはどうやってまわしてたの?(ベーゴマ考105)

大阪府「ザビエル高橋」さんからの疑問


先日、「コマの魅力展」に行った時
久しぶりに高橋さんと会えた。
高橋さんのあだ名は「ザビエル高橋」
大阪に一大ベーゴマブームを起こした
伝承者である。

その時、井出先生が例のブツ「真鍮バイ」を
持っていたので、見せてもらった。
ずっしりと重く、貝ごまそっくり。
真鍮バイは明治の終わり頃につくられ
江戸期からつづくバイ貝を加工した
「貝独楽」から現在の鋳物になった
過渡期にあたる。

そこで、ザビエル高橋さんが一言。
「これってどないして回したんやろ。十字巻とはおもえないんだけど」

なるほど、考えたことなかったな。
昔の貝独楽はどうやって巻いたのか。

関西十字巻き

ベーゴマが誕生したとされる
上方、大阪での伝統的な巻き方は
「十字巻」とよばれ、基本は時計方向に巻き、投げも右手の外投げとなる。

十時巻き基本要素
⭐︎団子は頂点に置くため、ヒトツコブ
⭐︎時計回りの巻方向(すなわち外投げ)

この投げ方
感覚としてはちょい難しい。
女巻きの方が
一度距離感を内投げで測れるので
すっぽぬけにくく簡単と感じる。

しかし、バイ貝と共に
紐は発掘されたと言う話は聞いたことがない。
どうしても、腐敗してなくなってしまうのだろう。
今のような綿のより紐だったかどうかですか定かではない。

上方の文化としてはじまったとすれば
それを大阪では継承しており、その結果として十時巻が戦前などものこったと考えるのが自然であるが果たして真相はいかに

過去の文献にヒントはないか

まず、過去の文献からヒントを探してみよう。

1712 和漢三才図会

これは内投げっぽいなぁ。
団子に見えるものは確認できない。

1752 倭仮名在原系図

https://da.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/portal/assets/76ca6969-7246-4608-8555-efbbe1d92ebf?pos=3
https://da.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/portal/assets/76ca6969-7246-4608-8555-efbbe1d92ebf?pos=3

この挿絵からわかること
・紐の手元にしっぽがある(=反対側にはしっぽがない)

これは九州ゴマの紐と似ている。
九州独楽(長崎、佐世保、博多等)は紐が
先っぽが団子がなく、手元にだんごがあるのだ。

しかし、九州独楽の巻き方は
独楽の先に「剣」という出っ張りがあって初めて成立する(井出先生実験感謝)

ベーゴマはどうしても凸の先に団子なり引っ掛かりを作る必要があるのだ。

(尚、この在原系図の挿絵は、中心に飛脚仲ニとバイ回しの床があり左右対称にバランスを取るために百松と蔵吉のポージングを決めているような可能性がある。そうなると、最後の右手の位置はかならずとも外投げの証拠とはならない。)

1820 時再興在原系図

右の子が外投げをしたあとのようにみえる

同じく左の子は外投げの後にみえる
なんで右の子は左に人持ち替えてんだ!

おい百松(右)、紐どこやった!
そんなんやから負けるねん。
武士が刀の鞘捨てるようなもんやぞ!

だめだ。このへんからは読み解けない。

1739 絵本御伽品鏡 3巻

左の子は 右手に紐を持ちこの形になるとしたらば「外投げ」と思われる。
また紐にだんご上の部分は一番端(上部)にひとつだけあるように見える。

右の子どもの右腕はうち側にあり、ここからは
投げかたまで判断はできない。
というか紐が確認できない
紐を持っているとすれば紐は描かれると思うのだ

と思っていたら

ん・・・・・これ
手元に貝独楽もっていないか!?

確かによくみると、
床(ゴザ)の上には貝独楽は一つしか回っていない。しかも
ゴザは両側で下側に巻き込み配置していることがわかる。

確実に向かって右の子は
「貝独楽を今から投げ入れるところ」の絵なのだ。

しかも、この巻き方は手に握っている紐との張りからみて時計と逆巻きであり、その場合内投げになる。

一点腑に落ちないことは、
先に述べたように、他の独楽と異なり
ベーゴマは引っ掛かりがないため、凸部に団子をおき、本体を一周する形でまかないと
紐を固定できない。
投げる前の表現ならば
貝独楽の上部に紐が一文字ではいるはずなのだ。
貝独楽ということを強調するために
あえて紐を描かなかった可能性もある。

ここまでみてみると、
江戸期の絵から読み解くなかで
うち投げ(時計と逆巻き)の要素も
外投げ(時計巻き)の要素もどちらもあることになる。
あかーん謎が深まったw

1936  昭和11年  郷土研究 「上方」

行き詰まったと思った時に、
明治期に何かヒントがないかと
「上方」をなんとなく読んでいた。
この「上方」は
江戸時代以前をベーゴマ古代期として
明治から戦前をベーゴマ変革期とするならば
この貝独楽から鋳物にかわる歴史を紐解く上で
非常に重要な記録である。

人の記憶とはなんと曖昧なものだろうか
かつて、これをみるために図書館にいき
コピーまでしたのに

なんやてガッツリ巻き方と投げ方が
書いてあるやんかw

以下本文より

▪️やうじ(紐)

ばいを廻すに用いる紐で長さはばいをまいて丁度の寸法。

やうじとは紐を意味するようだ。
和漢三才図会のバイの項には麻をより合わせて紐として使ったとあるが、あれから数百年たち
麻紐は綿に変化したと思われる。

①白無地

これは質がよいのか当時一銭だった、大人向で子供でも常連が使っていた、つまり専門家用

②色もの

黒、赤、梅、白の染分になってみて五厘だった、一般的に使用されていた。

③自製

この当時始めて黒の兵子帯が流行した、それまでば監絞り木綿、白木綿、濱縮緬(はまちりめん)であつたのが、黒モス、同新モス、藍立絞り無地のものが使用され出した。それを裂いて細く丸めて使用した。

→兵子帯(兵児帯)とは柔らかい生地でできた帯を言うようで、普段着のカジュアルな帯みたいな感じ。かなり柔らかな布なので、これを細く割いて丸く捻をかけて組むようにつくったということか。

やうじは新らしいと貝に巻きにくいのでぬらして土をすりつけて使用した。三種類共、各質を子供心に持たせたもので一銭の白は一番強かった。色もの、新らしい時には仲々強いのがあつた自製ものも素晴らしいのがあった。強いと云ふのはそれを使用して廻すと勝つといふ意味である。
愛戦のものにはその先端に一厘銭などをくくりつけて持ちをよくしたのもある。

→新しい時には巻きにくいのは今と同じ。滑るからであるが、色物には新しい時には強いとあるので、初めの頃はへたることなく、しっかり巻けるということであろう。
すなわち、貝独楽の性能だけでなく、ハリやヨリの強さ、硬さなど、どの紐を選び、時に自作するかを考え、紐にも工夫する余地があったことが読み取れる。

「廻し方」

独楽と同じて、やらじの先端にくくりを造りそれをかかりとして貝に巻きつける、貝の底部より一本上部へ向ってほっかむりのやうに廻はし底部よりぐる~巻きに上部へ行き貝一ぱいで終り

→紐の先端に括りをつくりということは、団子を1つ作って、そこをきっかけに貝に巻きつけると書いてある。

ほっかぶりのところをイメージすると
貝の凸部つまり先っぽを人の顎のとんがりとするとそこに団子をおいて、ぐるっとまさにほっかぶり状態にして巻くというている。

説明が絶妙である

いまの男巻きの団子1つバージョンに近いが
やったことある人にしかわからないが
紐の固定がしにくく巻きにくいと思われる。

しかし、従来関西に伝わる「十字巻」は
バイ本体を十字にまいたあと、てっぺんをつまみそのまんまひねることで、取っ掛かりを捻り締め安定させることから、同様に捻り締めたと考える。

廻し方に下記の種類があり紐の巻き方も左巻と右巻きとがある。

▪️普通

手を肩上より力強く前下に向つて廻す方法。
→投げ方としては右巻き外投げの部類であるが投げ方は九州独楽の喧嘩独楽にみられる上投げの投げ下ろしに近い。長谷川さんが岡本さんの博多独楽を投げているのを投稿してはった。
まさにこれ。現代的にいうと雷落としとして真上からぶち当てにいくかんじ。これが普通であれば江戸期のイラストの手の描き方はスナップを効かせたあとの姿となり理解できる。

▪️ばて

手を腰の邊にて水平に早く前後動かして廻す方法
→つまり左巻き内投げで、女巻きに近い。
これが女巻きの先祖ではないか。

▪️じゅうた

紐の巻き方が先づ違ふ、ばいの蝋面に十文字に紐を参き、手を頭の上より力張く下におろして廻す方法。
→これこそ「十字巻」投げ方は外投げというより、先に書いた上からの投げ下ろしに近い。

ここからは推測であるが、
一つこぶの右巻き上投げを基本としたが
すぐにズレることがネックであった。
貝独楽のときはバイ貝がとがっているから
よけいに固定が難しい。

そこで、いろんな投げ方やコブを増やして固定しようとしたり、巻き方で固定する方法が工夫された。

十字巻は、コブ一つでは固定しにくかったから
四方に紐を巻いて安定させたのではないか

ある人は
貝を一周してきたところにもう一つコブをつくり
これがやがて「男巻き」として派生し

またある人は、コブを二つつくり、その中央部をすこしほぐすように広げて貝の先端をはめることで固定した。「女巻き」である。


もしかしたら
戦後なぜか低くなるベーゴマの背丈も
下から突き上げる要素とともに、巻きやすいようにとい後要素もあるかもしれない。

テクニック

ここからは、投げ方のなかでも
すでに床の中に入っている貝独楽にたいする
勝ち方のテクニックにちかい

▪️ひきつ

相手が先さにしたとき「自ばい」で、向側よりひつかけて相手のバイを出す技法
→つまり相手のバイの向こうになげいれ強く引くことで、床に入った後に手前に動くようにして、相手のバイを手前に落とす技。すがちょの本で言うと「ひっちゃき」

▪️あてつ

「ひきつ」の逆、相手のばいに前方より「自ばい」を打当てて敵をほり出す技法
→相手のバイに自分のバイを手前から当てて奥に押し出す技。すがちょの本で言うと「つっけん」

▪️ぼつかけ

「じゅうた」廻しの場合(十字巻の場合)相手ばいを引かけて勝つ技法。普通には禁止の技法で強敵にのみ許される。この方法はむつかしいので普通の子供はようしないやうである。
→この方法は相手の独楽に直接当ててぶっ飛ばす「がっちゃき」かとおもったが、雰囲気から察すると、十字巻の紐を使って自分のバイを投げ入れたと同時にその紐で相手のバイを引っ掛けて勝つという意味のような気がする。
そら反則やけどテクニックとしてはだいぶ難しいのは、わかるw
強敵に使うとしたらこんな感じで使って欲しい。

まとめ

「上方」にかいてある投げ方は
明治期の大阪における巻き方、投げ方であるが
同じ貝独楽をしようしている江戸期も
ほぼ同じ投げ方をしていると推測される。
巻き方向は右巻き、左巻きともにあるから
外投げに近い「上投げ」、女巻きのような「内投げ」が双方とも存在した。

▪️巻き方
①普通→紐の先端にコブを一つ作り、バイの先端にコブ配置、バイを一周させコブのところでヒネるようにねじって巻き、右巻き、上投げ

②ひとこぶ男巻き→紐の先端にコブを一つ作り、バイの先端にコブ配置、バイを一周させコブのところでヒネるようにねじって巻き、左巻き、内投げ

③十字巻→紐の先端にコブを一つ作り、バイの先端にコブ配置、バイを一周させコブのところで、華麗なる90度ターンをして、独楽の蝋部分に「十」の文字になるように、包み込む。先端でヒネるようにねじって巻き、右巻き、上投げ

イメージとしては
①②が先にでき、固定しやすいために③十字巻が生まれたのではないかと推測できる。

そう考えると
昭和の頃の関西で回していた人たちも
十字巻き以外もいたかもしれないし、
徳島が十字巻でなかったのは
ここでいう①の普通巻きが先に伝承していたためと考えると合点がいく。

上投げで回るか問題は
実はすでに試した。ばっちしまわる。
ただし、おままごとの「だいこん」の先端なので
今度貝独楽でやってみて動画撮ったらアップします!

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